
スコットランドの工業都市グラスゴウは重工業都市のイメージが強いが、
日本やアメリカのメーカーを中心にコンピュータ関連企業が1980年代から進出し、地場の企業も育って一つの産業となっていた。
出張の目的地としては時間距離が遠くお金も掛かったので、単独で此処にだけ行くと言う事は無かったが、
コンピュータ関連に顧客を求めるのが当時のビジネスだったのでグラスゴウとて例外ではなく、他の目的地と混ぜてプランを作り、かなり頻繁に行く町の一つだった。
逆にスコットランドの政治の中心であり観光資源にも富んでいるエジンバラには殆ど行く機会はなかった。
グラスゴウ市庁舎は素晴らしい建物で内部のガイドツアーもあった。ガイドの英語はスコットランド語であったであろうが私の耳には判り難さにおいてイングランドの
田舎で聞く英語と同じであった。
玄関にGR 001というようなナンバーの車が停まっていたがあれは市長車であろう。
グラスゴウはサンフランシスコのような、というと言い過ぎであるがかなり強烈なアップダウンの坂道の脇に重厚な石造りの建物が並んでおり、
ダウンタウンには若い人も多い活気のある町であった。
狂牛病騒ぎの真っ最中で、スコットランドはその本場であったから、グラスゴウ泊の夕食は魚かせめて羊さんに逃げようかなどと弱気になっているとき、
平然と『スコッチビーフ、レアで』などと注文するアルザス人同僚の度胸を心底から褒め称えたものであった。もっとも牛肉を食っていた婆さんから生まれ矢張り牛肉を食っている
おっかさんの乳を飲んで育った人間にとって今さら狂牛病と言われてもそれがどうした、というようなものであったようである。
しかし日本では事情が違って、この時代にヨーロッパ特に英国に滞在したり旅行したりした人は献血できない。
この基準は公布当時厚生省自身が世界一と称したくらい厳しいので自分が該当しないか調べておく必要がある。もっとも、
自分が該当しても献血や臓器のドナーになれないだけで、特典はないしお国が何かしてくれるわけではない。
グラスゴウ駅

アルザスからのグラスゴウ行きは、ロンドン、マンチェスター、ブラッセル、フランクフルトといったグラスゴウへの便がある空港があって顧客もある町から
飛行機で行く事が多かったが、局地的には鉄道も使った。
この写真は、1995年頃のもので会社の備品だったデジタルカメラ、リコーDC-1による撮影である。石器時代のデジカメで、画素数は41万、写真サイズは標準で
96kb、液晶画面が.取り外せる平たいデザインの図体はそれなりのサイズで、ずしっと重く中身は電子回路でぎっしり詰まっていると言う感じのカメラだった。
グラスゴー駅の様子についてはあんまり記憶がないが、ターミナル型のドーム屋根の壮大な駅で、この写真は当時としては珍しいCRT化された発車時刻案内に
興味を惹かれたものと思われる。

訪問先の会社の会議室からの風景。
顧客の中にはとんでもない田舎にある会社があって、ゆったりとした敷地の中に建物が点在し、
社長室の窓から素晴らしい田園風景が広がり『どうだい、この景色』などと自慢されたりしたが、環境が良いのは認めるものの
もう少し交通便利な所にオフィスを持ってくれよと内心思ったりした。
実際、同僚とレンタカーでGPSカーナビなど無い時代、地図を見ながらあっちだこっちだと辿り着くのが大変な会社も数多かった。