| キーワード | キーワードがある落語 | キーワード | キーワードがある落語 |
|---|---|---|---|
| さてこのたびは | うどん屋 | 幾ら稼いでも足りない・・ | 替り目 |
| のようなもの | 居酒屋 | 来年の三月 | 幾代餅 |
| すわりしょんべん | 火焔太鼓 | 町内騒動 | 大工調べ |
| 嬢のお白粉 | 素人鰻 | 夏のちしゃ | 夏の医者 |
| しっかりしろー | 竜田川 | また夢になると・・ | 芝浜 |
| そこは端近、 | 三軒長屋 | 店賃と五人暮らし | らくだ |
| 歯を食いしばる | 長屋の花見 | どっこいしょ | 禁酒番屋 |
| 夜中のはばかり | 千早ふる | 思ってみた程楽じゃない | 都都逸 |
| ああ私もくたびれた | 黄金餅 | 穏亡焼き | 目黒のさんま |
| 酒に良くって飯に良い・・ | 酢豆腐 | どうぞごゆっくり | 二番煎じ |
| 薄紅を刷いたよう | 百年目 | お腹壊させましょうよ | 茶の湯 |
| すいか野郎 | たが屋 | 吾妻橋の旦那さま | 佃祭 |
| 悪い目つきだった | 藪入り | ウォークマンを取れ | 源平 |
| 宵越しのてんぷら | 巌流島 | 猫がトタン屋根を滑る音 | 一人酒盛 |
| 残月や狐とはいえ・・ | 王子の狐 | あきー、あきー、あきー | すみだ川 |
| 死なないまじない | 湯屋番 | 無意味に大きい | 横浜そごう、についてのくすぐり |
| 命知らず | 寝床 | 十八番 | 授業中 |
| お騒々しいこって | 富休 | 鼻の下はすぐにあご | 雑俳 |
| 大丈夫かい | 船徳 | 冬瓜船が着いたよう | 大山詣り |
| 破門 | 林家正蔵伝 | おじさん | 付き馬 |
| 何時でえ | 時そば | 源兵衛さんに太助さん | 明烏 |
| 三太夫、控えておれ | 妾馬 | 五右衛門はさぞ熱かっただろう | 強情灸 |
| 鰤のあらのような | 短命 | から屋 | 味噌蔵 |
| この位の事は算盤には | 壷算 | ぶち生かす | 地獄八景亡者の戯れ |
| 本碁も向島もない | 笠碁 | なまじ目鼻が付いている為に | 化け物使い |
| ラジウムでもめっけたか | 長短のなかのくすぐり |
寒夜の流しのうどんやに執拗に毒付き絡む酔っ払いが語る仕立屋の娘の婚姻シーンで、花嫁が酔っ払い本人に向かっての挨拶で使ったという言葉。
「おじさん、さてこのたびは」と切り出されたのであるが、「さてこのたびはなんぞは生易しい学問で出る言葉じゃあねえぜあれは・・」となってしまい、
花嫁の口上がこの後どうなったのかは語られない。『鰻の幇間』の先(せん)の家に住んでいる奴と並んで、落語の登場人物中屈指の嫌な奴という定評があるこの酔っ払いの語る
下町の婚姻シーンと、酔っ払い自身の新婚時代を語るシーンはそれはそれでまた人気がある。
その白眉が酔っ払いの話の中では尻切れトンボに終わるこの花嫁の挨拶の場面である。
はるか昔、銀座のどこかであった仲間のディキーランド・ジャズのバンドのライブで司会者の第一声が「さてこのたびは」であった。
それを「さてこのたびはなんぞは生易しい学問で・・・・」と自分でフォローしたのは可笑しかった。思わず三笑亭と掛け声をかけたくなった。
この長く屈曲のある噺の登場人物は、終わりの方で家の中から苦情を言うおかみさんと、落ちの風邪っぴきを除くと酔っ払いとうどんやの二人だけ
である。
うどんやが酔っ払いにつかまったのは、横丁から大通りに出た途端であるようである。
酔っ払いは酔い覚めの水を飲んで火の活気で体を温めた勢いでうどんやと別れた後、
家までもう少し歩こうという様子なので横丁に入ってしまわず大通りを去って行ったと思われる。
酔っ払いにからまれた揚句商いは無いまま無駄に火を起こしてしまったうどん屋は気を取りなおして
適当な新道を見つけて入って行く。
新道というのは地主の判断で (おそらくお上の裁可も必要であろうが) 大通りの裏の住人の便の為に作った私道であるから
これは非常に狭い。天秤棒を担いだままでは方向転換できないくらい狭い。こんなところで大声を出されては
子供を寝かしつけているおかみさんはたまらないので、これは苦情を言われて当然である。
おかみさんに一発かまされたうどんやは再び吹きっさらしの大通りに出てきて、大店の前で呼び止められる。
大店でのあの一杯の為にうどん屋は寒夜の中、かくも右往左往しながら売って歩いている。
何事にも商売に楽なものは無いのである。
「おまえなんかを謝らせてもしょうがねえや」 と言いつつ、弱い立場の者に対して居丈高になる奴というのは現代でもいて、
ホテルのレセプションニスト、コンビニでバイトのお姉さん、
飛行機が遅れたときのサービスカウンター、事故や災害で列車が遅れた際の駅員、新幹線の車内売り子や車掌さんなど、
抵抗できない立場の相手のちょっとした言葉尻や手違いやミスを怒鳴りつけたり謝らせたりする輩を見るたびに
『うどんや』の酔っ払いを思い浮かべる。
漱石は落語好きであったことでも知られるが、中でも三代目小さん演ずる『うどんや』が好きであったという。
また漱石が最後に聞いた落語も知人の子息の結婚披露宴での三代目小さん『うどんや』であった。
この酔っ払いは奥さんに徹底的に絡むけれど、適当にいなされ、当人もいなされるのを楽しんでいる風がある罪も毒も少ない酔っ払いである。
これは、門先で乗ってまだ車が回らないうちに降りた車屋に車賃を払うという奥さんに向かって言う言葉であるが、家庭内で結構応用が利いて面白い。
他にも、家で更に酒を飲むという彼に奥さんがとぼけると、「何年手許に飼っておけば・・・・」、と悪態をつくが、これも家人に毒づく必要がある
時有用である。この噺の題であり、落ちである、『替り目』に行き着くまで延々とこのハ長調の夫婦の会話が続く。
脳出血で倒れた後、志ん生復活の初高座で、うー、あーとやっているうちにいつのまにかこの『替り目』に入っていったと伝えられる。
志ん生の演出でもこの台詞はしっかりある。さらに家でも飲むという亭主が奥さんに何を飲むのと聞かれ、硫酸を飲むわけがねえだろう、という強烈なくすぐりがある。
桂文治という落語家は小柄で地味、声も大きいけれど美声というタイプではなかったが、自他共に認める完璧できれいな江戸弁の
噺家さんで、 (多分) 中入り後のざわつきを抑える役のいわゆる食いつきや、
とりの前の大看板引き立て役 (勿論当人も大看板であるが) をやらせたら天下一品であったと思う。水戸黄門でいうなら格さん役である。
2004年1月没、合掌。
職人風の酔っ払いが居酒屋の小僧をからかって「のようなもの」を注文する。名作『子別れ』に続く長い噺の部分であるそうで、
金馬はいわゆる落ちを付けずに終わっている。
「汁(つゆ)、柱、鱈、昆布、鮟鱇のようなもの、鰤にお芋に酢だこで御座います、いえーーーい」、どれも秋深いか初冬の居酒屋の肴としては
素敵なもので、小僧が暗記してしまうくらいの定番であったのであろう。
『らくだ』に出てくる「芋にはんぺんに蓮」の煮物も置いていたに違いない。
この酔っ払いは『うどん屋』の酔っ払いと違って語気荒く毒付いたりしないが、抵抗できない立場の小僧にねちこく絡む、
小僧もロープに追い詰められながらも時々手を出すボクサーのように酔っ払いに無駄な抵抗をするので、都度そこにつけこまれてしまう。
いろは四十八文字濁りを打つと何でも音が変わると言ったために、ひらがなの「い」や「る」に濁りを打つことを強要された上、彼の顔のほくろを
咎められ、ロープを背に、ばな、ぼっぺた、がお、と打たれ放題になる。
金馬は使わなかったが、酸っぱ口で頭に来そうな名前の酒 「兜正宗」 は(醤油の産地の)野田の銘酒であるというくすぐりがあるが中々秀逸だと思う。
若い落語家集団を描いた森田芳光監督『の・ようなもの』も楽しい映画であった。金魚(きんとと)が夏の早朝の町を歩くシーンは忘れ難い。
あの主役をやった北関東訛りの俳優はその後見かけないがどうなったのかしら。
三代目三遊亭金馬という落語家を代表する演し物であり、何聞いても飽きず、同じ所で吹き出してしまう。
しかし、落語の象牙の塔の住人は小僧の喋りに声色を使っているあれは落語では無いとして評価しなかったという。
搗き米屋の若い衆、律義者の清蔵さんが吉原のスター幾代太夫から年季(ねん)が明けたら嫁に行くと約束された期限。
清蔵さんにとって自分の名前より「来年の三月」の方が重要なキーワードになる。
清蔵の渾身捨て身命がけの恋が成就するという素晴らしい噺である。
来年の三月という言葉は、日本国が4月スタートを基準としており、4月が年度始めの会社も多いので、日常や職場で良く交わされる言葉でもある。
「あ、それは来年の三月までには」とか、「来年の三月には増産体制が・・」とか聞くたびに落語ファンとしてはにやりとしてしまう。
年季が明けたその三月、搗き屋の店先に立った幾代太夫改め幾代が「小僧どん、清蔵はんがいやんしたら、吉原(なか)から幾代が来たと伝えてくんなまし」
と堂々名乗った時、「まみえを剃って、歯を染めて」いる。今時代劇の女優さんに「まみえを剃って、歯を染めろ」と言ってもそれは無理というもので、
この点は時代考証も何もないそうであるが、1980年代初頭にはまだ「まみえを剃って、歯を染めた」女優さんが登場する映画があった。
現代では宮沢りえさんなどは似合いそうである。
アスレチックジムのプールでは入る前に化粧を落としてスイミングキャップを被らなければならない。この「まみえ」がなくて
スイミングキャップで髪を隠したすっぴんの女性には
一瞬ぎょっとさせられる。
非常に喜ばしく驚くべき事が生じた事を告げる時の事前の警告の言葉。
すわりしょんべんすると馬鹿になるという妙なロジックである。
20年ほど前、志ん朝が、後の平成17年度に文化勲章、平成21年には国民栄誉賞を受けることになる森光子のリクエストに応えて
テレビでは初めてという『火炎太鼓』をやった時は
おやじの志ん生の演出に極めて忠実で、この台詞もしっかりとあった。
志ん朝は結局『六代目;倅の志ん生』を名乗らないまま西暦2001年秋に逝ってしまった。ただし、志ん朝自身は兄馬生から襲名権利を
譲られていたというこの名前を継ぐ気持ちは無かったらしい。
しかし、2007年夏、東京MXTVのテレビ番組『言いたい放題』で談志は 「もっとうまくなる為に」 志ん朝に志ん生襲名を薦め、志ん朝も否定的
ではなかったというエピソードを披露していた。
そして志ん朝ファンの夢としては、2005年六代目志ん生、2015年留名の封印や種々しがらみを切り、八代目桂文楽が若き志ん朝に夢を見たという
三遊亭圓朝を襲名して落語宗家に。
それでも二代目三遊亭圓朝77歳である。
この噺の一番の聞きどころは、与太郎を庇って因業大家に謝り続けていた棟梁が幾ら謝っても駄目だと悟り、一転喧嘩に切替える鮮やかさと
その後の大家への悪口雑言であろう。
喧嘩になっても「腹ア立たねえのか」と棟梁に言われて「うん、立てても良いよ」、と何事にもついでと付き合いの与太郎が相棒なので、
大家さんとこでの喧嘩でもその後の
お白州でも棟梁の独壇場になる。志ん朝の良く回る舌での高っ調子の江戸言葉はまさに聞かせどころであった。「この金隠し!!」などは「四角くって
汚ねえから金隠しだ」と言われても今や更に詳細な解説無しでは通用しないし他では聞かないが、因業で公事好きな大家に向けては絶好のうまい悪態である。
この大家が普段神仏に「町内騒動」と願っているのは因業に加えて嫌な性格であることを語って余りあるが、事なかれ主義ならぬ
事あれかし主義と言う個人や集団は今でも
居たり有ったりする。
この元旗本の鰻屋さんの将来を思うと暗澹とした気分になる。噺の中では一言も口を利かないが、美人に違いないお嬢さんがせめて好物のお汁粉
くらいは何時でも食べられる人生を送ったであろうと願うばかりである。
一言も口を利かないのに重要な役を振られているきれいなお嬢さんが登場する噺としては『井戸の茶碗』が印象的である。
『妾馬』のお世取りを生んだ八五郎の妹、お鶴の方にも科白がない。漱石の『こころ』の先生の奥さんもそういう登場のしかたである。
人間国宝、圓生としては笑い沢山の軽い噺であるが、ストーリーの底抜けの馬鹿馬鹿しさも楽しい。
落ちでもあるウワバミのこの科白は言葉そのものより、土用の最中、下剤をしこたまかけられたウワバミが息も絶え絶えにぐったりと木に引っかかって
いる様子を想像できるのがおかしい。落語国でも一番ぐったりしたさまであろう。
志ん生にウワバミは何故ウワバミというか?、というくすぐりがある。うわーっと来て何かを食むからウワバミだという他愛のないもので
他の人がやったのでは面白くもおかしくもないが、志ん生がやると大爆笑になった。蛇も屁みたいのなものが、そのうちビーっといったから蛇で、
それが怪我をするとヘービーチーデーになる。
アルファベットの深読み遊びというのがあって、ジャズピアニストの山下洋輔氏の著作には「助平な俺は日本人としてオランダの空は嫌だ」という
フレーズが出てくる。これがアルファベットのどの部分か判りますか?。
ところで志ん生は昔はいろんな虫がいたと前置きして蛇のことを語っている、蛇も虫なのである。これは現代で言うなら薬物学にあたる『本草学』に
則った格調高い解釈で、
本草学によると人と鳥獣魚介以外の生き物は全部虫なのだそうで、学校じゃあんまりおせえて呉れない分野での志ん生の学の深さは定評ある
ところであるが、志ん生落語を聞いているとこういう正統派学問の造詣も深くなるのである。
ちなみに夏の医者にかけられた夏のちしゃはレタスの一種で、これは平安の昔から日本にあった野菜なのだそうである。但し今のレタスのように
真ん中を食べるのではなく、立ち上がる茎から葉っぱを掻きとって食べたもので、今でもあるそうだが、私は実物を見たことがない。
食べ方としてこの噺の中ではちしゃのゴマ汚しが出てくる。加熱したレタスというのはあんまり一般的ではないが、
細切れのパンチェッタを弱火で炒めた中に投入、強火にしてさっと火通しし、松の実を散らしたりすると無茶苦茶汗をかいた後のビールに誠に結構である。
アルファベット深読みの答え
「助平な(H)俺は(I)日本人として(J)オランダの空は(KLM)嫌だ(NO)」
自称では無学な職人であるが、受け答えを聞いていると実際は結構切れ味鋭いのではないか、と思われる長屋の住人に
業平の歌の意味を訊かれた町内の物知り、何とかごまかそうとするが聞く方の追求は鋭い、窮地に陥ったこの物知り、
思わず「竜田川ーーーっ、しっかりしろ」と口走る。そのとたん、彼は悟りを開き、それまでの周章狼狽が嘘のように
くそ落ち着きに落ち着いて、夜中のはばかりのような美女千早太夫と豆腐屋の息子の元大関竜田川の悲劇を語り始める。
しっかりしろは、たった一言で見事に場面が転換する見事なキーワードになっている。
せめて豆腐位は多少高くても常にうまいのを食いたいと思うがなかなか無い。無闇と能書きが多くてびっくりするほど高い豆腐がうまいとは限らないし、
同じ豆腐屋でも日によって固い柔らかいから食べての出来不出来が激しいこともあるから豆腐道も深い。自分で作ってみると豆腐というのは品質を安定
させるのが非常に難しい物
であり、国産大豆の、瀬戸内のにがりのと材料に「こだわる」前に職人の腕が肝心であろうと推測できるが、大量に安定して作るには多量の良質な水も
必要らしい。従って豆腐屋のシンボルは店中にある大小の水槽であり、それに水を供給する井戸である。
『千早振る』でももう一つの主役はこの豆腐屋の井戸である。
静岡県の駿東郡長泉町と言う所に住んで居た時の水道水は富士山の伏流水で塩素消毒の必要は無いとさえ言われた美味い水であったが、
近所に爺さん婆さんのやっていた山口豆腐屋というのがあり、聞いたらそこは伏流水脈の極上金印の井戸水使用であった。
その豆腐は私にとって朝早く自分で鍋を持って買いに行くのが
日課になった大満足のものであったが、何と言うことか!!、知り合って一年足らずで、もう年齢で限界です、と店を閉めてしまった。
図らずも一軒の名豆腐屋の店仕舞いに立ち会う事になり、諸行無常を感じたものである。
『豆腐屋の井戸替えおとはの骨上がり』。という事は、元大関の豆腐屋は目撃者がないのを良い事に犯行を隠匿したのであろうか?。
『里の無い女房は井戸で怖がらせ』。私には帰るところなんぞありません、と開き直る女房は井戸端で・・・という意味らしいが、今こんな事をしたら
砒素にインスリンに闇サイトで雇った殺し屋とどういう仕返しをされるか判らない。
三木助十八番の『芝浜』の落ちの一言。あまねく落語の中で判りやすく、きれいなそして良く出来た落ちであろう。しかしこの噺、物語が単純かつ平板な
成功物語で面白くない、と言う意外な評価もあり、落ちも、大晦日の酒を手にした所で夢から覚め、極貧の裏長屋のままだったとしたらどうか?、
というアイディアもあるようである。つまり『鼠穴』の裏返しである。
飲んだくれの亭主を支えて見事に更生させた女房も出来過ぎていて平板すぎるという近代的感覚からの批判もある。
まくらにコハダの鮨というのが出てくるが、この江戸前の極致とも言える食い物について鮨屋の親方におそるおそる伺ったら、
三木助の言うように初冬の頃が一番脂が乗ってうまいが、江戸っ子はその前のあっさりしたシンコ(新子?)をあんまりきつく絞めないで食うのを粋
としたのだのだそうである。私は田舎者であるせいか冬のコハダの方が好きである。このコハダ、酢で絞める以外に食いようが無いそうであるが、
単独で酢の物として食ってもちっとも美味くない。しかし握りにすると替える物がない存在である。秋から冬、コハダの握りを食ってみたい気分になる人
は少なくないであろう。
こわごわで思い出したが、銀座の予約一声5万円という噂のすし屋で主(あるじ)にカリフォルニアロールについての感想を聞いた勇気ある人がいて、
答えはにべもなく「あんなものは鮨じゃない」だったそうであるが、私は逆に日本で道楽が過ぎて店を3軒潰し、奥さんにも離縁されて食い詰めたところを、
ひいき筋に海外に拉致されて店を持たされたという腕利き職人に、一人前ん万円もするすし屋の存在意義について聞いて見た事がある。
勿論カリフォルニアロールだって何だって作る大将の答えはにべもなく 「そんなすし屋は客の迷惑だね」 だった。
大将の得意技はアボガド入り逆巻太巻きと、甘エビ握り三匹付けで、後者は大将オリジナルなのだそうである。しかし、なんといってもネタは少ない。
「あれこれと注文しないでこっちに食事のコースとして任せてくれるのが一番だよね」とも言っていた。
独自のネットワークでどこそこに良いマグロが上がったという情報が入ると、出刃持った助手を1000キロの道を遠しとせず走らせるというような
こともしていた。友人宅でバーベキューをやった時招待したら、蟹を2ケース手土産に持ってきてくれた。
落語の中で個性を持ち科白がある登場人物が最も多いと思われる『三軒長屋』に出てくる長屋は、長屋の花見に出てくるような戸無し長屋ではなく、
二階建てのテラスハウスのようなものであったという。何せ剣術の道場はあるし、二階は若い衆の宴会場にもなるのである。しかし、
狭いのは長屋の常、もそっと奥へといわれた頭も裏へ出てしまわないように気をつけなければならないし、元々部屋にいた人間は外に避難しなければ
ならない。
庶民の長屋ではこの奥事情はもっと深刻で、『青菜』の女房も『芝浜』の魚屋も『紙入』の色男の小間物屋もみんな隠れる所に窮する。
江戸の庶民が居住を許された地域は意外に狭く、住居もごくごくコンビ二エントなものであったという。
棟割長屋という言葉がある。普通長屋というのは長い建物を沢庵の半月切り状にしたものであると想像するが、これは棟割長屋とは言わず、棟割長屋とはもっと
下等で、家を棟のところから二分、すなわち縦割り半分の沢庵を長手方向にさらに二分した上、横にイチョウの葉っぱ状切り分けた物で、
角の柱は一本を4軒で共有したのだそうである。
そんな長屋もあったのかと一寸驚く。
始めからしまいまで狂気が支配している壮絶な噺、『らくだ』の事実上の主人公の紙くず屋の長さんのせりふ。
大多数の日本人男子にとって広義の店賃は世に出た時から老年期まで殆ど一生背負う荷物になっている。学生時代は仕送りで親の助けを借りたとしても、
社会に出ればそれが独身寮の寮費であろうと自前で払い、結婚して2DKのアパート家賃、家族が増えて越した3LDKの家賃、30代半ばくらいから
ローンを組んでのマイホーム、子供が進学すればそのアパート家賃を支援し、マイホームのローン残額は退職時に退職金を殆ど全額注ぎ込んでやっと払い終わった
と思ったら今度は子供が家を買うので幾らか援助という事になる。
店賃がなかったら、日本人男子一人あたりの手元流動性は平均で数千万円、下手すると億の桁で上がるであろう。
物価が安いアジア諸国でといわず、コートダジュールに小さな
ステュディオ形式の別荘くらい買えて、老後はそこで過ごせそうである。豪華客船で世界一周なんぞではとても使い切れない。(勿論、豪華客船に乗るだけであるが)
可楽のこの科白のリアリティは当時の文士を唸らせたそうである。勿論落語国には店賃が何だか知らない、まだ(大家さんから)貰った事がない、
などとうそぶく輩も住んでいる。
この噺は、主人公らくだこと馬(これも仇名らしい)が、虎河豚を手料理で食べて中毒死している所から始まる。
『へっつい幽霊』の左官の長さんも博打でつきまくっている時、虎河豚を手料理して見事に大中りしてしまっている。
昔は河豚に何故中るかという理屈がかなり曖昧で、季節外れの河豚は危ない位にしか考えられていなかったのかもしれない。
何故中るのか理屈が判らずに河豚に中った場合は全員致死量の何倍も食べてその場が全滅してしまっている可能性が高く、
何故中ったのかが経験として伝承されず、兎に角河豚は危ない、しかし中らない事もある、程度の知識で料理屋でではなく、
手料理で河豚を食べていたように思える。
一方、縄文時代の遺跡から河豚の骨が大量に出土する例もあると言うので、昔昔には河豚の安全な食べ方を心得ていた部族もあったようである。
先の陛下に見事な虎河豚が献上された事があった。しかし、「河豚は皇室お家のきついご法度」 とあって、河豚を召し上がれない陛下は
河豚にいたくご執心で、侍従に 「お前は河豚を食べてはいけないというが、河豚の毒は何と言う毒なのか判って言っているのか?」 と魚類学者らしい駄々を
こねられたというエピソードが伝えられている。
河豚毒テトロドトキシンは、他に類の無い特異な構造をした青酸カリの850倍という猛毒物質で、内臓含む全身の筋肉の麻痺をもたらす神経毒である。
河豚の肝臓や生殖器官に含まれるが、河豚が自分で体内合成しているのでなく外から取り入れて濃縮しているという説が有力である。
それが証拠に、河豚の稚魚を海から切り離した水槽で人工海水を使って養殖すると肝ごと食べられる無毒河豚になるそうである。
虎河豚の肝臓を爪楊枝でつつきあってその先を舐め、舌先が痺れてくるのを楽しむ、というロシアン・ルーレットみたいな河豚の食べ方もあるらしい。
この長屋は、穏亡の友達の金さんや猫の皮剥き、犬殺し、主に屑の方を扱っている紙屋、つぶしで幾らの屑屋、糊屋の婆さん、下駄の歯入れ屋などが集う凄い
長屋である。
店賃はまだ(大家さんから)貰ってないなどと言い出すとんでもないのを含むこの凄まじい一団を花の季節に花の下まで引率していく大家さんは
さらに凄腕と言える。
実際、花見というのは晴れ着を着たり扮装(コスプレ)して行ったものだそうであるから、この一行は顔色、持ち物、
着ている物全部凡そ花見とはかけ離れており、
花の下でもそこだけ砂埃混じりの茶褐色の寒風が吹いている『荒野の用心棒』冒頭シーンのようであったことは間違いない。
落語の解説書などを拝見すると、
この一団は普通はそこで終わるお茶か盛りでの句会では飽き足らず、他所のパーティーの飲食物を強引な手段で狙い始めるのだそうである。
大家さんの手により、宇治の銘酒とともに調整されたご馳走。香々は白いからかまぼこ、沢庵は黄色いから卵焼きなのだそうである。
この使い分けに対して、登場人物は、お茶けとお酒、香々と沢庵、かまぼこと卵焼きの違いについて意義は唱えているが、香々と沢庵と言う言葉の使い分け
について異論を唱えたり質問したりしていない。お香々と沢庵は、常識の中で区別されていたのである。
酒の持ち込み厳禁の某大名のお長屋に酒の配達を頼まれた酒屋の若い衆、番屋のセキュリティ・チェックが無事通った安堵から出たこの一言で折角
うまく行きそうだった筋書きが壊れてしまい、「控えておれっ」と言う事になってしまう。
落語国には、風の中の羽毛より軽いどっこいしょというのもあって、『明烏』の若旦那が泊まった浦里の部屋の屏風は、図々し学校の卒業生源兵衛さん
と多助さんの手により、「は、どっこいしょのしょ」と取り除かれる。この場面での文楽のどっこいしょは、日本演劇史上最軽のどっこいしょであろう。
セキュリティ・チェックで重たい物が引っ掛かった所を見たことがある。ヨーロッパの某地、9/11以前だったがフリクエント利用者の間では
そもそもチェックが甘い、という風評があった某空港で、年の頃50がらみ、いわゆるビジネスマンではない風体の人の大きく重そうな布製バッグ
で、普段やる気が見えないX線検査の係員たちが色めきたった。バッグを開けて出て来たのは大工さんであろうその人の愛器と思われる良く使い込まれた
プロ用大型電動カンナで、これには係員一同も順番待ちの列一同も大爆笑であった。
電動カンナはエンジン付きチェーンソウと違って武器にはならないから
愛器を持ち込んでも問題ないだろうと考えたその大工さんが正しいかもしれない。でも受けたなあ、あの電動カンナ。
いい女の形容として、奇想天外かつ絶妙な言い回しである。裏長屋のはばかりは、外後架(そとごうか)といって共同使用の屋外戸建なので、冬などは
真っ暗で寒かったに相違ない。決意して、外に出て、用を足してのプロセスで、完全に目が覚めたであろう。寝ぼけて転落したら間違いなく命を落す。
雨の日なんかはたまらなかったであろうから、流しで叱呼、などいう輩も出現することになる。(『子別れ』)
それにしても昔の人は、雪隠、後架、ご不浄、はばかり、手水場、東司などなどをどう使い分けていたのであろうか。
実に豊かな言語生活であったことが判る。
志ん生ではなかったかも知れないが、身の毛もよだつほどぞっとする表現に 「雨の日にはだしで共同便所に入るような気分」 というのもある。
できる事なら竿かけて寝ていてしょんべんしてみたい、を受けて、寝ていてしょんべんしてみたが思ってみたほど楽じゃない。となる。
夜中のはばかりは、三亀松も嫌だったようである。この人の高座はラジオで聞いたのをかすかに覚えているだけであるが、
高座では立って演じていたらしい。都都逸の中興の祖だそうであるが、寄席での出では危ないとか際どいとかを突き抜けた都都逸もやったという。
寝ていて口移しで水を飲ませて貰うというシーンで、飲ませてくれる方の入れ歯が外れて顔中水だらけという地の語りがあったが、田舎少年には
水浸し、とかびしょぬれ、ではない 「水だらけ」 と言う表現が気になった。
大手術の後では尿道カテーテルというのを入れられるが、これは叱呼から完全に解放されると言う意味で画期的で、
内緒の話であるが、癖になりそうになる。
これも凄惨な場面や、グロテスクな描写がある噺『黄金餅』で、上野近辺の下谷山崎町の貧乏長屋から麻布絶口釜無村の木蓮寺までの貧乏弔いの
30以上も地名が出てくる道行きを、
志ん生流に何時止めるか間違えるかとはらはらさせながら引っ張って、随分みんなくたびれた、ああ、私もくたびれたと〆る。
この距離は、ものの本によると13キロあるそうである。同じ死体をいじるにしても、『らくだ』より動機がどろどろして、
いてかつ死体を損壊する物凄さである。それがハッピーエンドになるのだから落語と言うのは恐ろしい。
この有名な噺には、落語国には相当密度濃く住んでいる、悪い奴、嫌な奴、金の亡者、が一人も出て来ないうえ、
からりと晴れ渡った気持ちの良い秋の野原が連想されるお殿様の野駆けシーンは誠に心地良い。
現代の中目黒という町がこの噺にあやかろうというのも理解できる。
特にこの先代金馬でこの噺を聞けば、小学生でも落語の面白さに取り憑かれるであろう。落語入門として誠に素晴らしい演者・演目である。
落語の象牙の塔の住人には、それがくどいとして嫌われたが、先代金馬はとにかく判り易い落語を語った。
金馬の演出だと百姓家での秋刀魚の焼き方は穏亡焼きだという。この焼き方は、やった事も見たことも無いが、粗朶木で焚火を作り、
その中に秋刀魚を放り込んでしまうというと言う方法のようである。但し秋刀魚を火葬にしようというのではないから焚火が盛んな時放り込むのではなく、
熾き火にしてその中に入れるのであろう。
それにしても名前も方法も凄い焼き方で、焼き加減の調整も難しそうである。
先日テレビ番組であった、八丈島の更に沖にある青ヶ島という島の紹介の中で、この穏亡焼きが出てきた。もっとも、このご時世、
テレビでは穏亡焼きとは言わず、放り込み焼きとか言っていたが、恐らく現地では穏亡焼きと言っていたに違いない。
うつぼに似た魚で現地で『かんべーめ』と言う魚の料理(?)法として、焚き火を作ってそれを熾き火とし、
そこにかんべーめを生きたまま塩をして放り込んでしまうという焼き方であった。食べ方も頭から骨ごと
丸かじりなのだそうである。ともあれ、穏亡焼きが料理文化として残っているのは嬉しい事であった。
穏亡という言葉も今や簡単に口にできる言葉ではない。『黄金餅』の金さんは友達だという穏亡に仏の焼き加減について細かい注文をつけている。
穏亡の友達がいるという金さんも凄いが、立川談志によると金さんの他の朋輩は猫の皮剥きに犬殺しだそうである。
『らくだ』の真の主役紙くず屋長さんにも隠亡の友達げん坊がいて、ちょう坊、げん坊と呼び合う仲である。
この噺のラストでお殿様に供される銚子の本場物秋刀魚の餡かけは、試した人によるとそんなに不味い物ではないそうである。
近年、秋刀魚を刺身で食べるようになったが、私はあの食べ方としては握り鮨が一番、次にご飯のおかずで、秋刀魚は刺身になっても酒の肴より飯の
おかずであると思う。
噺中、ご飯の炊き方の水加減に関するアジェンダで、一升炊く時は片手、二升で両手、三升で足を突っ込むという工夫をしたお殿様が現れるが、
結果として大きく外していないのが可笑しい。
問;これは何の食べ物を指して言っているのか?。
答;刺身
落語国の住人は刺身と言った場合は何を指していたのであろうか?。
江戸前の本マグロ、と言うのもあまり聞かないが、落語国の刺身は、中とろのところをぶつに切ってとか、赤ベロとかという、まぐろと理解できる
描写が一般的である。勿論、鯛の刺身も登場する。
『酢豆腐』でこの提案をした人物は、刺身にジャムを付けて食べるのが好きだと言っているが、ジャムと刺身の取り合わせも気鋭のシェフの
ヌーベル・キュイジーニュのオントレには本当にありそうで怖い。私感では酸味のあるルパーブのジャムなど合いそうではある。
この「飯に良くって酒に良い、暑い時に良くって寒い時に良い」というのは、そのまま豆腐にも当てはまるのが面白い。
この噺にも江戸っ子らしく天婦羅に執着してつばを飛ばす人物が登場する。
この噺の背景になっている 「寄り合い酒」 というのは、町内の若い衆が集まって、夜っぴて酒を飲みながら語り合い、眠くなったら
その場にごろり、朝になってまた残った酒で飲み直すという、江戸と言う時代の冗長性=生活の余裕、が無かったら到底出来ない
贅沢な遊びで、この噺の若い衆は、その朝酒の肴の談義をしているのである。
寒風吹きすさぶ厳冬の夜、火の活気に暖まる番小屋から送り出される一の組の面々に掛けられる言葉。
送り出された面々は寒空の下で色々な芸を
繰り出した後、番小屋に戻って風邪薬と口直しをこしらえ風邪の治療に勤しむ。そこにきちんと夜回りをしているかどうか見張ると言う役の武士が現れ、
番小屋の戸を叩く。この武士も自分の立場の内でこのゲームに参加してくるのである。
この言葉は、命に別状ない程度に辛い場所や任務に出て行く者を、自分はぬくぬく暖かく安全な所から送り出す時の言葉として絶妙
である。本物の戦場に赴く者をこの言葉で送り出すのは洒落にならない。
他人の真似をするという意味で二番煎じというのがあるが、この噺にはこのことばの寓意は無いが、この言葉を聞くとこの噺を連想する。
可楽の侍とのやりとりが絶妙であるが、志ん朝の張りのある ♪火の用心さっしゃりやしょー・・・、が北風に煽られるところは、
今聞くと『六代目志ん生』になる大津絵『冬の夜』を想像させられてしんみりした気分になってしまう。
舟の上から見た向島の桜の描写。水辺の桜を水の上から眺めると言うのは誠に結構なものである。
江戸時代の桜の品種はソメイヨシノではなかったから桜の季節が今と同じとは限らないが、
まあ、土手にはたんぽぽ蓮華、柳も色づいて、空には雲雀がピーチクパーチク鳴いていたであろう。
名人圓生の手に掛かると、この一言で錦織り成す爛漫たる江戸の春の風景が浮かんでくる。
時代下って明治の御世に、この江戸から明治への時代の春の風景を歌った詩が作られた。
春の麗の墨田川 上り下りの舟人が
櫂の雫も花と散る 眺めを何に喩うべき
見ずや曙露浴びて 我に物言う桜木を
見ずや夕暮れ手を伸べて われ差し招く青柳を
錦織り成す長堤に 暮るれば登る朧月
げに一刻も千金の 眺めを何に喩うべき
こうした風景の中、旦那が固いと信じていた番頭が芸者たいこもちを引き連れ、とんとんとん、と玄人はだしのステップを踏んでいたのである。
旦那の驚きは即座に店の帳面の大穴に思いが行く。寝小便たれの小僧からの子飼いの番頭とはいえ元は言えば赤の他人である。
人類の歴史の中で、結核と言う病気が奪っていった若い才能の質と量はなまやさしい学問では形容できないくらい膨大なものであると思うが、
21歳の時この詩に曲を付けた滝廉太郎もドイツ留学中に発病し、志半ばで帰国を余儀なくされ23歳でこの世を去った。
この若きメロディー・メーカーがせめてモーツァルト位長生きしたらどんな作品を残してくれたであろうか?。
大交響曲はともかく、我々が日常耳にし、口にする歌曲のレパートリーが増えた事は間違いない。
仕事一筋だった大旦那が、お気に入りの小僧一人をお供に根岸の里に隠居した。暇をもてあまして催す青黄粉と椋(むく)の皮を煮立てた
飲み物が供されるという連日の無茶な茶の湯に耐えかねた小僧の一言。
椋はニレ科の植物で、果実の中の種子はお正月の追羽根の玉に使われる丸い硬い玉である。椋の皮にはサポニンと言う成分が含まれており、
このサポニンは水を泡立たせる。サポニンを多く含む植物を乾燥させて洗剤に使う事は多くの民族において行われてきた。お茶が水より泡立ち易いのも
お茶に微量含まれるサポニンのせいであるから、ご隠居の狙いは正しく、量の判断を誤ったのみである。
ご隠居のお供に付けられた小僧さんの将来が気になる。ご隠居のお気に入りくらいであるからお店の小僧の中でも利発で出来の良い子供で、
親は商いの修行に出した筈であり、当人もそのつもりであったであろう。
こうしてご隠居のお世話専任になったら、茶の湯の責め苦は別にしてお店にいるより楽しいに違いない。しかし、ご隠居のお相手をずっと勤め上げたの
では、小僧の将来はない。やはり、ご隠居さん係りは小僧さん一同の1年交替くらいの持ち回りなのであろうか?。
どこでも好きな所を切ってみて中が赤くなかったらお代は要らない、のだそうで強い者の前で開き直った弱者の啖呵として究極のものであろう。
『首提灯』にも同じような啖呵が出てくるかもしれない。
『たがや』は前座から名人まで多くの噺家が演ずるので、演出の方法も多く、落ちの首が上がる
シーンも殿様の首の場合と、たがやの首の場合の両方あるし、くすぐりにもこの小朝の「たがやコール」などという奇抜かつ秀逸なものがあった。
映画『の・ようなもの』で、静岡産の生野菜を絶賛してやまない「金属的な落語」の前座、志ん菜が映画中で演じたのも『たがや』であった。
しかし、静岡産の特に葉物の野菜は余りうまくないと、日本海側の某地から良い気候をを求めて伊豆に越して来た知り合いのお年寄りが言っていた。
葉物の野菜は、自らを霜や凍結から守るために糖分を増やしている寒地の物の方が味わい深いのだという。確かに一霜くった
ちぢれほうれん草のお浸しはうまい。
吾妻橋で救った娘に巡り巡って命を助けられるという、三軒長屋、富久などと並んで、登場人物も場面転換も多いドラマチックな噺で、馬生が演ずるのを
聞くと通奏低音としての祭りのざわめきが終始流れているような良い気分になれた。
特にここで笑いを取ると言う場面もないが、次郎兵衛さんの葬式シーンがクライマックスであろう。ここで普段珍重はされていない糊屋のばあさんが、
挨拶の中で一番難しいと言われるお悔やみを述べて絶妙、一同を驚嘆させる。
落語国の挨拶では 「お騒々しいこって」 の火事見舞いが印象的であるが、私は子供の頃、ばあさんが死んでその新盆の時、村のおっちゃん、
おばさんの 「本日はお新盆(にいぼん)でお寂しい事でごいす」 という口上に、なんと素晴らしい言葉!、恐るべし大人の世界と思った記憶がある。
吾妻橋は、浅草雷門前を通り本所に向かって隅田川を渡る橋で、何故か身投げの名所とされ、落語国の身投げ関連諸々の現場はことごとく吾妻橋という
事になっている。名作人情噺『文七元結;ぶんしちもっとい』はこの橋無くしては語れない。
次郎兵衛さんは「吾妻橋の旦那様」として祭られていたが、実は神田お玉が池の小間物屋の主、神田から本所、吾妻橋、佃島の住吉神社
くらいは仕事に遊びにと歩き回っていたものと思われる。
神田お玉が池といえば、赤胴鈴之助が通っていた千葉道場があった所、お鈴は女手一つで鈴之助をエリート校に通わせていた賢母の鑑である。
金原亭馬生は、名人の父と天才の弟の間に挟まれてやや地味な存在であったが、玄人に言わせると、親父の志ん生とは正反対に、苦手が無く、
不出来という日がなく、
その高座はプロが見ても常に極めて高水準であったそうである。
ただ、非常な酒好きで、とある高校の講演に招かれ、事前に校長室で挨拶したその口でコップ酒を所望したという逸話がある。
従って、「いや、酔っ払った時は当たり外れが酷かった」 という説もある。
逝ってしまった馬生の弔い帰り、寄席の高座に上がった談志が陰気に馬生の思い出をぼそぼそ語っていて、落語をやろうとしない。痺れをきらした
心無い(?)客が 「落語をやれ」 と野次った。普段なら 「何をこの野郎」 と喧嘩を始める談志が、静かに 「今日はやりたくねえんだよ」 と応じたという。
藪入り、見違えるほど大人になって帰って来た我が息子、欣喜雀躍の中で、息子の財布の中の大金を見てふとよぎった不安、そういえばあの目つき・・・・・。
時代の寵児が一転悪い事をしていたと判ったとき、そういえばあいつ目つきが良くなかったよな、という居酒屋談義は良くやるものである。
悪い目つき=凶眼、と言うのは、同朋のみならず、異邦人の中にもあまねくあるもので、洋の東西限らず、こういうのには子育て中の野良犬同様に、
近寄らない、目を合わせない、近寄らせないのが肝要である。
この父親、子供の頃奉公をしたことがあると言っているが、家で商売をしている訳ではないし、大店の通い番頭とも思えないので居職の職人であろうか?。
子供の奉公先はお店(たな)だと言っているので商家である。昔は子が親の職業を継ぐのが当たり前であったと思ってしまうが、案外そうでもなかった
のかもしれない。
脳梗塞で倒れて復活したものの、もう圓楽では無くなってしまった圓楽は、テレビの黎明期には星の王子様と名乗って、
志ん朝同様タレント活動で目立ったが、大看板になってから落語の改革のため、私財を投げ打って若手の修行の場を提供したのに
若手が乗って来なかったのは残念であった。
若竹寄席の?落しで、談志が 「若竹寄席の廃墟の前にただずむ」 というくすぐりを出して笑いをとっていたが、これは残酷な現実になってしまった。
圓楽はまた常に視聴率20%級の化け物番組『笑点』創設期からの最大の功労者であるが、
悲しいかな、2006年5月7日で、「皆様今晩は、笑点の時間でございます。司会の三遊亭圓楽です。どうぞよろしく」 のご挨拶は終わってしまった。
しかし、『笑点』の圓楽は座布団の出し入れ、メンバーとのやり取りとも硬くて地味であった。
圓楽が自分でも言っていたが、持ち回りの代役から晴れて後任になった桂歌丸の方が貫禄はないが、やりとりが派手で面白い。
2009年10月29日午前8時15分、五代目三遊亭圓楽逝く76歳。合掌。
『笑点』の司会で圧倒的に面白かったのは並み居る噺家を威圧し笑点に君臨した南伸介であろう。
伸介の時代の座布団のやり取りは真剣勝負だった。ゲスト出演で下手な解答を怒鳴られた若きこぶ平など本当に泣きっ面になった。
まわりが『しょうがないじゃあありませんか三平の子なんですから』と怒る伸介をとりなしたのが可笑しかった。
先生と生徒が仲間同志というのは、めだかの学校や今時の小学校だけではなく、笑点もそういう時代のようである。
林家三平の『源氏物語』同様、有名な物語をベースに時事漫談で爆笑を取る噺で、三枝の『源平』は最近聞かないが面白かった。
このキーワードは一の谷の陣屋で軍議中、ウォークマンをかけて上の空の若い侍を平家の大将が怒鳴りつけるもので、SONYの大ヒット商品
ウォークマンは、時空を超えて平家の公達まで愛用していたというのである。戦場に一管の笛を携える公達のこと、ウォークマン位は持っていても
不思議はない。聞いていたのは平家物語、もう少しで 「御曹司、馬ども少々おといてみんとぞ言いけるに・・・・」 義経の奇襲シーンにさし
かかるところで怒鳴られて外してしまったに違いない。
先日東横線に乗っていた耳にイヤホンをつけた超人は、20歳そこそこの学生風の男。適度に混んだ車内で立ったまま何も掴まらず、臍の前に手で本と
ノートを支え、鉛筆で何かしきりにそのノートに書いているので何をしているのかと覗いたらこれが微分方程式の計算、時々チェックする本は英語
らしき横文字、突然はたと考え込み、おもむろにポケットから消しゴムを出して式の途中二行くらい(線を引いて消すのではなく、消しゴムでしかも
終わりではない途中!の行)を消すその仕草も悠揚迫らず、
自分の部屋にいるのと全く変わらないと思われる立ち居振る舞い、人類にも未来があると確信させる若者であった。
これも志ん生の奇抜な形容のひとつで、流石にこれには志ん生自身が 「なんだいお前は、変なことばかり言うね」 と自分で突っ込みを入れている。
『上げ潮のごみ』 とおんなじであげっぱなしなのだそうである。上げ潮のごみには、ごみの気持ちも判らずにという反論もある。
志ん生の奇抜な比喩の傑作には他に 「むく犬のおけつに蚤が入ったよう」 「あんにゃもんにゃ」 などというのもある。どちらも訳が判らないという
意味だそうである。
「舟を見送るような声」「油揚の背中の様な色」「風呂敷も畳めないようなら人間じゃない」「下駄を、はすっかけに脱ぐ」などの鋭い警句もある。
倅の志ん朝にも 「7月の槍=盆槍(;漱石風である)」 「日記も薄荷もない」 「日陰の桃の木」「窓のない西洋館」などの奇抜なオリジナルギャグがある。
てんぷらやフライ等のディープフライと言う料理法は、引火の危険十分な大量の油に水分たっぷりの食品を投入する、という火災とやけどの両面で
危険極まりない調理法である上、たくさんの調理器具を必要とし、煙が出るほど熱するため酸化劣化した油の事後処分、飛び散る油での台所の汚れ
などなど、他の調理法に比べて格段に事前も最中も事後も面倒である。家内が外人さんの友人にコロッケを伝授せんと家に招き、いざ揚げる段になったら
彼女は台所の外へ避難して入って来ようとしなかったそうである。
これでは伝授にならない。
それにもかかわらず、日本の一般家庭でディープフライ調理とやけど火事騒ぎが絶えないのは、料理の温度やテクスチャーに
世界で一番どうのこうのとうるさい、という日本人がディープフライ料理の揚げたてのうまさは殆ど一瞬で失われることを知っているからである。
江戸時代のてんぷらは、多分竈での火加減の難しさから家庭ではされず、プロの料理として屋台店であれ何であれ、とにかく目の前で揚げてもらって
食べるか、揚げ立てを時間指定で届けさせる仕出し料理であった。けっして高価なものではなかったというがとにかく揚げたてであった。
『芝浜』の魚屋さん勝五郎も朝風呂のあとおかみさんに 「てんぷらをそ言って来い」 と命じて居る。
久し振りに友達を呼んでハレのご馳走は揚げたてが届けられるべきもので、当然油の回った宵越しのてんぷらなど悪口雑言の形容に用いられる位の
扱いである。
女性が下心あって男性を取り巻く場面でのとどめの声、いわゆる嬌声というやつ。路面電車が角で急ブレーキをかけたような声に同じ。
圓生はさらに、『妾馬』では鼻声という女の武器も紹介している、但し、七分三分の三分に掛けた鼻声でないと駄目だそうである。
スピルバーグの出世作『ジョーズ』で、米巡洋艦インディアナポリスの生き残り、という鮫獲り名人が皆を黙らせるのに使った黒板に爪を立てて引っかく
というのは究極の歯が浮く音であるが、猫がトタン屋根を滑るような声もその場を凍りつかせる必殺技であろうと想像できる。
インディアナポリスは、帝国海軍で言う重巡洋艦で、広島に落とした原爆を米本土からテニアンまで運んだ後、日本の潜水艦に雷撃されて沈没、
海に投げ出された乗組員への大量シャーク・アタックが戦史に残っている。
アメリカ海軍の重巡洋艦は、大都市の名前を付けられていたが、現在この伝統は攻撃型原子力潜水艦が受け継いでいる。
弾道ミサイル潜水艦は州の名前であるから往時の戦艦扱いである。航空母艦は、海軍の提督(ニミッツ)、海軍への功績があった政治家(カール・ビンソン)
などから最近は元大統領の名前を付けるようである。(最新艦はジョージ・ブッシュ;ただしこれは父の方である)。
立川談志によると、人間国宝柳家小さんは、武士、職人、旦那、それに動物を演ずるとそこは人間国宝であったが、女を演ずるに誠に下手で、
それは自分でも認めていたという。確かに男が女を演ずる究極が歌舞伎の女形だとすると小さんはそこからは正反対の容姿であった。
しかし、容貌怪異という点では、遥かに上の志ん生が色気のある女を演じられたのであるから外観の問題ではないであろう。
しからば、狐が化けた女を小さんが演じたらどうなるであろうか?。それがこの『王子の狐』である。
『王子の狐』は、人間に騙されて酷い目に遭い、人間不信に陥る女狐お玉ちゃんの悲劇の物語である。小さんは、心なしか狐が化けた女
そのものを演ずる事を少なくして、騙す男がモノローグで狐を描写する場面を多くしているような気がする。
「正一位女に化けて朧月」 漱石。
狐はお稲荷さんのお使いである。お稲荷さんは、稲荷=稲成り、転じて農業、商売の神とされている。結構気難しい神様なので、
通りすがりに片手で拝むのは厳禁で、きちんと願をかけ、かなったらどうするときっちり契約を結ぶ神様だそうである。
2002年3月15日、東京落語会のプログラムの中入り前の位置に柳家小さんの名前があり、演目は「おたのしみ」とだけあったが、
結局小さんは休演、四代目現三遊亭金馬の代演になった。それから丁度二た月後小さんは逝った。

昭和30年代、ラジオで田舎の子供にも判る「綴り方教室」を演じ、かつラジオでの露出度が大きくて人気を得た痴楽は、古典の巨塔の住人からは
人間扱いされなかったという。安藤鶴夫などは三代目三遊亭金馬さえ講釈師あがりでくどいとして認めなかったというのであるから痴楽の存在は
完全に無視していたに違いない。林家三平は塔の住人からは「化け物」呼ばわりされていたらしい。
その安藤鶴夫が、名人と絶賛した三木助には、今になって本当にそんな名人だったか?、と言う疑問が呈せられる事があるのも面白い。
神様扱いされた桂文楽も、落語初心者には何が何だか判らない場面が多く、全然面白くないらしい。
痴楽は三平と違って、時事漫談に流れるわけではなく、極めて奇抜ながら新作落語と呼べるジャンルであったと思う。声もなかなか良い声で、
綴り方も歌もそれゆえ聞き入らせるものであった。演題は忘却であるが、東京娘の痴楽賛歌、「あべこべ行こうよ」というまあちゃんへの荒井やよさんから
の恋文、「お七さん、あなたは美しい・・」の八百屋お七への賛辞、「むせび泣くような雨が音もなくシトシトと」降る青山の墓地に行きたがるタクシーの
女客などは50年経っても鮮明に覚えている。この『すみだ川』は東海林太郎のヒット曲「銀杏がえしに 黒繻子 かけて 泣いて別れた すみだ川」を
自ら歌い、ひときわ高く張り上がるサビの「秋の日暮れの鐘の声」の『あきー』でポータブル蓄音機のレコードの針が飛んで逆戻りする趣向になっている。
レコードの針が飛ぶ、なども現代では死語である。
テレビの出現で落語家の本業以外への露出が始まり、志ん朝はその嚆矢で、長髪の鬘にギターを持ってビートルズを演じたりもした。
曲は『Please Please Me』であったから1964年くらいか?、としたら志ん朝26歳である。
そういえば、若き志ん朝、愛車アルファ・ロオとともに拳銃不法所持(民間人に拳銃合法所持と言うのはないが)で文字通り世を騒がせた事があった。
確かしょっぴかれた番所では落語家らしく吾妻橋から捨てたと白状したような。
四代目三木助も、名人の御曹司として落語家としてより、外車を乗り回す派手なタレントとして注目された。これも亡き小せんの司会になる四代目三木助襲名
披露でも、時の落語協会会長小さんは、芸を誉めず色男で女性に持てる事ばかり誉めていた。
圓歌が『手を取って共に登らん花の山』とはなむけの言葉を送って
いたが、四代目は誰も自分の芸を認めてくれないことに物凄い重圧を受け続け、結局縊れ死んでしまった。ずっと後、四代目三木助の理解者だった小朝
が、三木助が死んだ時、たむけに三木助はうまくなった、とかこれから大輪の花が咲くところだった、とか言った大御所やマスコミに、
その言葉をお世辞でも良いから何故生きている三木助に言ってやらなかったのか、とテレビ番組で三木助を語って嘆いていた事がある。
道楽の果て、親に勘当された若旦那は、知り合いの頭か、親父の店に出入りの職人か、馴染みだった船宿か、何かのところの二階に居候となる事になっている。
道楽、勘当、若旦那、頭(かしら)、居候、どれも嬉しくなる美しい日本語である。
この頭なる者、その正体は勿論火消し組の組頭であるが、町内の旦那衆がスポンサーだったとあって、旦那衆には頭が上がらなかったらしい。
その地位は、何処のだれそれと名の通った頭でやっと大店の一番番頭に対してため口ではないがかなり気さくな口が利ける、
という程度であったと想像できる。
穴に落ちた泥棒を捕えたり(『穴どろ』)、旦那の義太夫では皆の盾になったり(『寝床』)、お店のお嬢様の恋患いの相手を探しに出されたり(『崇徳院』)、
と嫌な役を振られるようである。『三軒長屋』の政五郎も、楠運平橘正友先生には一国一城
の主同士として丁重に扱われているのに、伊勢屋の旦那にはかなり軽くあしらわれている。
若旦那を居候させる、などと言うのも良い役ではなく、まして、おかみさんにとっては迷惑以外の何物でもない。従って若旦那の待遇も崇だ
宜しく無く、食事は死なないまじない程度、濡らしたしゃもじでお櫃の飯の表面をぴたぴた叩き押さえつける(オシ飯)、
固まったところを薄くこそげ取って(スクイ飯)、
茶碗の縁に引っ掛ける(コキ飯)、という 「宇都宮の吊り天井、本多謀反の飯」 などが供され、それも三杯目には、「若旦那、お茶ですか、お湯ですか、それとも水ですか、
くろ文字ですか、片つけましょうか」 となる。この居候の三杯目というのは、なかなか薀蓄のある三杯目で、
居候と言えども一膳飯は食うもの食わせるものではない、飯は二膳が1セットという江戸の常識から来たものである。
勘当というのにもランクがあって、一番は縁切りをお上に届け出て、人別帖から外してしまう、というもので、これはもう完全に他人になる
と言う事で、復縁は全く考えられていないのだそうである。しかし、道楽者の若旦那の勘当は、懲らしめ目的であるからこんな物凄い事にはならないで、
大抵内証勘当という、親類縁者に面倒見てくれるな、と言う回状を回す程度のものであった。
志ん生には、遊びから帰った若旦那を親爺が戸口でいきなり勘当してしまうという、出し抜けに勘当=だし勘というのがある(六尺棒)。
しかし、だし勘はともかく内緒勘当でも、回状を受け取った親戚の者が面倒を見ていることが親元に知れると面倒見た方も縁を切られる、
というくらいには怖いものであったので、若旦那も死なないまじないでも米の飯が付いて来ているうちは良く、そのうちに頭にも見放され、
お天道様だけが付いてくるようになる(『唐茄子屋政談』)。湯屋への就職に際して『外回り』の解釈一つとっても反省の色は全く無い若旦那が、
吾妻橋の欄干に立つようになるのにそう時間はかかるまい。
小朝は、反省してない若旦那は地のままで絶妙であるが、逆に真人間を演ずると、歯根にはびこる道楽菌のにおいがしてしまう。それも魅力か。
この、死なないまじない、という言葉、外食が多いサラリーマン諸氏には 「いつも外で何食べてるの?」 と訊くオクさんの質問にとりあえず答えておくに
お奨めである。「ん、死なないまじないみたいな物だよ」。
トリノ・オリンピックで金メダルの荒川静香さんには、スポンサーの精米会社から米一生分を贈られたと伝えられた。
荒川さんは、文字通り一生米の飯がついて回る身分になったのである。
デイビー・クロケットの出囃子にのって慌ただしく現れ、ちゃんと聞いていない時に限って突然指す怖い先生のような独特の雰囲気がある昇太は好きな
若手落語家の一人である(と言っても何歳か知らないが、当人が若手のホープと言われ続けて18年と言っている)。
これは彼がごく若い頃横浜そごうを指して言った言葉。1985年に、68000u、東洋一の売り場面積という昭和30年代に流行ったような
キャッチフレーズで売り出し中だったそごうの新しいフラッグ・シップ店を、「無意味」で片つけてしまったそのセンスの恐ろしさに吹きだしてしまった。
横浜そごうは、大艦巨砲の水島マジックの最後の成功例で、「今横浜には、ろくな百貨店がない」 と開店前、そごう水島会長が横浜
財界人の満座の中でののしった、という駅を挟んで対面の老舗高島屋の買い物客をも増やし、横浜駅周辺の活性化に貢献大だそうであるが、
私が新入社員教育のセールス実習で開店準備事務所に飛び込んだ事がある横浜三越は、立地と大きさが中途半端ゆえか、そごうのあおりを食ったのか哀れ
2005年に閉店してしまった。してみるとそごうの東洋一の売り場面積は無意味ではなかったのかもしれない。
たしかに、売り場が区切られてない階では広々とワンフロアで見通せる気持の良い百貨店である。
春風亭昇太は、2006年5月、圓楽の引退で正式に司会に昇格した桂歌丸の補充という形で『笑点』大喜利のレギュラーになったが、良い人選だと思う。
まだ遠慮があるように見受けられるが、早く下ネタと下卑た悪口が蔓延る笑点を改革して欲しいと期待大である。(期待し続けて早や2年であるが)
落語国に自称命知らずは数多いが、これは旦那の義太夫を真正面から胸で受け止めようという、周囲が感嘆を込めて認める真の命知らずである。
この噺、演者が多く、先祖が絞め殺した義太夫語りの怨念により残忍性を帯びた旦那の芸の物凄さの形容は、この噺の聞かせ所なので色々な演出がある。
とにかく、山火事で焼け死ぬうわばみの断末魔の声にもたとえられ、出された極上の刺身も義太夫が始まると見る間にどす黒くなっていく、
という凄さなので、人間がそのまま聞いたら只では済まない。
渋いが凄いのでは桂文楽、旦那は連れ合いを亡くしているらしいが、これは偕老同穴旦那の義太夫を夜な夜な間近で聞きすぎての早死に
なのだそうである。もっとも文楽は旦那の連れ合いの生死や死因については一言も触れていない。
それでいながらそう思わせる文楽の芸の力である。
御上さん関係では、一度流産をして以降義太夫の会は免除とか、危険を察すると子供を抱いてお里に避難といった演出もある。
じゃんとぶっつければ火の粉でもなんでも被ろう、その男気にはかみさんもぞっこんという頭(かしら)もただただ低頭してやり過ごす
しかすべが無い上、その後は三日ばかり食が減ずる。蔵に逃げ込んだ前番頭は明り取りから注ぎ込まれ中で渦巻く義太夫を吸い込んで七転八倒
の末、「こんなめはもう御免」と書置きをして出奔。耳が遠いご隠居もはっと頭を上げた瞬間、眉間に直撃を食って悶絶後々まで義太熱の節々の痛みに苦しむ。
という事になる。
上方の枝雀の演出ではまともに喰らって死者が出てしまうが、この死者が不審死であるとして司法解剖に回されるのが可笑しい。
警視庁の取締りの甘さを悲憤慷慨する奴、気付けに石炭酸の強いのを用意してくる奴も現れる。
こういう義太夫の会に出て、最前列で頭も下げずにいる奴には「命知らずだねぇ……」と感嘆の声が上がる。

モーツァルトのオペラ『魔笛』の、夜の女王の聞かせどころアリア『復讐は地獄のように燃え』、これは凄い。人間の声は究極の楽器だそうだけれども、
これを聴くと凶器にもなるだろうなあ、と皆が旦那の義太夫に抱く薄煙を上げるサム・ペキンパーのMG42の銃口に通ずる恐怖心も理解し易くなる。
昇太は、「散れ、固まるな、固まると狙われるぞ」 と聴衆のリーダーにオマハ・ビーチのホバース軍曹を登場させている。
写真は、サム・ペキンパー監督の『戦争のはらわた』からMG42の銃口。発射速度は毎分1000発である。
数十年前の有名なレコードに、夜の女王のアリアを強烈な音痴のアメリカのお金持ち女性が、夫の財力に物を言わせてオーケストラ付きで
自信満々吹き込んだ言わばアメリカ版『寝床』があるらしい。聞いてみたいような命が惜しいような。
現在は圓歌であるが、『授業中』を語る時は歌奴と呼ぶのがふさわしいであろう。この国鉄職員の身でありながら、落語と浪曲の修行を積んだという
若き落語家は、実に明るく颯爽としていた。
可哀想にも酷い吃音障害者の中澤君に次いで、秋田県仙北郡出身の先生が指したのが「十八番」廣澤君である。
私の姓はSHIで始まる。日本の姓は、あ行が最も多く、か行も侮れない、やっと、さ行に入っても前に斉藤、佐藤といった大物が控えているので、
SHIに来る頃は早やクラスの半ばに差し掛かっている。
そんなわけで、学生時代の専攻科40人での在籍番号は18番で、これは内心得意だった。
廣澤君が18番になるクラス、と言うのはよほど少人数クラスか、名簿がアルファベット順になっているクラスなのであろう。
ミッションスクールに行った従姉妹のお姉さまに出席番号がアルファベット順と聞いて田舎少年は別世界を思ったものである。
1960年代後半頃の歌奴の『授業中』は、これでもかのサービス精神で畳み掛けて来て、単なる山のあなあなではない迫力があった。
廣澤君のカール・ブッセ朗読も演者自画自賛しているがさすが浪曲師木村歌若、良い声と節だった。
1970年代始め頃、『氷の世界』でスーパースターになった井上陽水が
主題歌 「夢の中へ」 を歌った『放課後』という映画があった。これを私は『授業中』と間違えて笑われた事がある。主演の栗田ひろみという女優さん
のおでこが可愛かった。
18番は、巨人のエースナンバーで、堀内-藤田(2006年2月9日没、合掌)-堀内-桑田と50年以上に亘って右の先発完投型の投手が付ける背番号
になっている。
巨人の監督を2年やって不評だった二代目堀内は同郷で、甲府商業の超エース、私の母校相手などでは投げてもらえず、4番センターだった。
彼は1年生の夏に予選を勝ち抜いて全国大会に行ったが、当時としては参加校が異様に多い記念大会であった故、日程の都合上3試合全て西宮球場で
試合をして敗退したため甲子園のマウンド経験がない。
彼の18番時代は、巨人の黄金時代、王、長嶋をバックにして投げたのだから、彼の通算203勝は甘いようにも思える。しかし、
常に満員の観衆に勝ちを求められる、勝っても負けても投げれば翌日は見出しトップ。相手チームは優勝などは初めから諦めているが、巨人の先発堀内をKOして負け投手に
できれば大見出し、とあれば堀内にはエースをぶっつけて、打線も何とか打とう勝とうと頑張る、そうした状況下で200勝と言うのは、
普通と性格が違う通算記録なような気がする。また、巨人監督時代にはチームの不振は根暗の堀内のせいと散々だったが、監督が原に替わっても状況は
すぐには改善されなかった。ただし、堀内=根暗というのは本当の様である。
演目が少なかった文楽の演目の中でも、この『富久』は大変な難産で、初演まで随分と時間がかかったと伝えられている。
冬の江戸を舞台にした登場人物と
場面転換が多い壮大なストーリー落語である。ハッピーエンドというのも嬉しい。聞かせるに難しい噺であろうことは想像に難くなく、前座が浅い出番で
『富久』をやって大向こうを唸らせたら、「諸君帽子を取りたまえ、ここに天才が現れた」 であろう。
幇間(たいこもち)というのは、別に手踊りや楽器の名手というものではなく、大旦那の遊びのマネジメントをする係で、旦那の財布を預かり、
その中で何日でも気持良く遊ばせ、「なんだい、これだけであれだけ遊べたのかい」 と言わせるのが腕の良さ、だそうである。
勿論、柔道の技でいきなり投げられる(『つるつる』)、腹に鍼を打たれる(『たいこ腹』)なども時には甘受しなければならないが、
旦那のお供で江戸から京都へ漫遊(『愛宕山』)などいう凄い役が回ってくる事もある。
もっとも『愛宕山』は大阪から京都に遊ぶ、と言う上方落語を東京に移植したもので、江戸から京都にお供という設定にはかなり無理がある。
『つるつる』には、太鼓持ちの受難の相場があって、半分坊主にする=20円、 目玉に親指突っ込み=10円、 生爪剥がし=5円、
目と鼻の間を拳固でポカ=1円となっている。
この噺の久蔵さんは酒を飲むと自分の勝手が出てしまい、旦那の機嫌を損ねるという取り巻きが下手な幇間である。しくじった昔の旦那の家の近火に、
汚れたどてらに縄襷白足袋の足袋裸足、という哀しくも勇ましい姿で 「へっ、お騒々しいこって」 一番乗りを認められてお出入りを許された久蔵さん、
顔の広さを買われて後続の見舞い客の受付係を仰せ付けられる。
天満屋の勘兵衛さんは、「てんかん」 と略されて記帳され、次に油屋の九郎兵衛さんが来れば当然 「あぶく」 である。小間物屋の次郎兵衛さんが
吾妻橋に程近い花川戸に店を構えていたら、「はなぢ」 であろうか。
与太郎は、因業大家に「あたぼう」を振ってひどい目にあう。言葉の簡略化は便利であるが、日本語外来語限らず近年極度の簡略化、それも外来語なら
頭文字の羅列、さらには日本語をローマ字表記して頭文字を並べる、などという暴挙がはびこっている。これに比べると、あたぼう、
などは立派な芸術である。
この噺の中で、松の百十番が当ったら横丁に家作ごと売りに出ている小間物屋を230両のところを30両負けさせて200両で買って、
と久蔵さんが夢見るシーンがある。
ハッピーエンドの後、堅気になって小間物屋の主に収まったのであろうが、元旗本の鰻屋同様先行きが気になる店である。
日本歌謡史上最も軽く歌った歌い手植木等(2007年3月27日没 80歳 合掌)に並んで、落語をごく軽うく演じた噺家の柳昇は、後世『昇太の
師匠』としても名が残るかもしれない。「最早日本に一人しかいない柳昇」と称して、『結婚式風景』『雑俳』などを気持ち良さそうに演じて、時に自分で笑ったりもしたが、
それが自己満足の嫌味でなく、実に味があった。元帝国陸軍戦傷軍人、トロンボーンをものし、随筆も巧みだった。
『雑俳』は、横丁のご隠居が無学な男に俳句の手ほどきをする、と言う趣向で適当な季語を与えて作句させるのであるが、その句は初雪に対して
「初雪や一番目立つインド人」、春雨に対して「舟底をがりがり齧る春の鮫」といったもので、くちなしやに対しても「くちなしや鼻の下はすぐにあご」となる。

くちなしの花には薔薇とも見まがまう八重咲きもあるが、このくちなしは実をつける一重の花である。
くちなしは季語として、花は夏、実は秋ないし冬であろうが、素人が扱う季語としては一寸難しそうである。
民家の塀越しのこのくちなしの白い花や赤い細長い実を見ると、この句(?)を思い出す。
くちなしの鮮やかな赤は食用色素で、きんとんに金色の照りを付けるのにも用いられる。
『百川(ももかわ)』の百兵衛(ひゃくべい)さんが、魚河岸の若い衆に飲み込むことを懇願されたきんとんに化けた
慈姑にもこのくちなしの色が付けられていた
に違いない。
くちなしはまた、その葉っぱがある種の蛾の幼虫に偏執狂的に好かれる木でもある。
梅雨時の花であるくちなしの花で思い出すことがもう一つ、渡哲也が歌った『くちなしの花』は、オイルショックによる狂乱物価の
真っ最中の大ヒット曲だった。巷にこの曲が流れていたこの頃は「諸物価値上がりにつき」、という値上げ理由がまかり通っていた凄い時代だったのである
この噺の徳さん(『お初徳兵衛』の冒頭であるというので、この徳さんは徳兵衛というのであろうが、このような色っぽい正統若旦那は、
徳三郎でいてほしい)、は湯屋番の若旦那に比べるとほんの僅かだが反省しているように見えるが、船頭になるにあたって徹底的に形から入り、
かつ形以上の事はしようとしていない。
やる気のない馬鹿は単なる粗大ゴミだけれども、やる気のある馬鹿ははた迷惑である。この徳さんは、なまじやる気があるだけに
周囲の心配と迷惑は計り知れない。徳さんが前回のトライアルの時、舟から放り出した母子連れは、この声をかけた竹やのおじさんなる人物が身を挺して助け
上げたとする説が有力である。
フランス語に「サヴァ」という言葉がある。サは下ににょろが付いたCでCAVAであるが、これは世界一便利な言葉とされている。知り合い同士の挨拶では
「サヴァ?」 「サヴァ!、サヴァ?」 「サヴァ」 となるし、一足お先に帰るときも 「サヴァーー」で良く、それをも見送るのも「サヴァ」。
竹やのおじさんの言葉としては「サヴァ?」 以外に考えられない。大丈夫なら「サヴァ」で返し、大丈夫でない時は後ろに否定のパを付けて
「サヴァ パ」で返す。「ノン サヴァ」はまずい。兎に角どんな状況でも、たとえフランス語が話せなくても「サヴァ?」 で始め「サヴァ」で受ける事で
コミュニケーションを始められる。
『竹や』は屋号で、このおじさんが竿竹屋さんというわけではない。竿竹屋だったら文楽はイントネーションを変えていた筈である。
近年、街頭インタビューやタレントのトークではなく、CMやナレーションやニュースまでディレクターに地方出身者が増えたせいなのか、妙な
イントネーションが流行っていて苛つく。何十センチなのか聞きたくなる厚い声援や、ドライアイスのように触ると火傷する熱い氷が登場したり、
種を巻いたり、包帯を播いたり、バナナに歯があったり、黄いの歯が散ったり、葉の治療をしたり、釜で草を飼ったり、
鎌でご飯を鯛たりするからたまらない。先日もラジオで列車の愛称の衰勢について話すのに、執拗に相性と言い続けられていらいらした。
更に敬語の無茶苦茶さも言語道断、「お殿様が、そう申されておる」「参られますか」などを聞き咎めていたら、ちゃんばら物は見ていられないし、
「地元の人はこれをこんな風にして頂いているのですね」 「頂いちゃって下さい」 「この店ではこんな料理が頂けます」 のように「頂く」を食べるの
丁寧語だと信じて、尊敬語の「召し上がる」と区別ができない、あるいはあらゆる場合を「頂く」で済ませてしまうグルメ番組なども聞くに耐えない。
さらにグルメ番組に箸がちゃんと持てないタレントが出てきたりすると最悪である。箸が持てないタレント(俳優、女優)というのは年齢や
お馬鹿加減や右手左手とは関係なく、
偉そうに薀蓄垂れたり説教したりするベテランや、歌舞伎役者夫人の大女優がちゃんと持ててないから面白くてやがて哀しくなる。
職場のお姉さんの親指を箸に添えないで真っ直ぐ前に出し、中指を折り畳んで持つ方法を咎めたら「可愛い持ち方」だ、とほざいたので直ちにその手を
ひっぱたいておいた。
箸には正しい持ち方と正しくない持ち方の二つしかない。
それと猖獗を極める『こだわる』と言う言葉も不愉快である。日本語ラ行五段活用の動詞『こだわる』には本来良い意味はなく、
自分の事に謙譲語として使うならともかく、他人に対して使うのは落語国では悪態の一つでしかあり得ない。
国民すべからく、文楽、圓生、志ん朝を聞き込むべしである。
逆に「凝る」と言う言葉は死語になってしまったかのようである。職人仕事への誉め言葉は「こだわった」仕事ではなく、「凝った」仕事である。
薬師丸ひろ子という女優さんがいる。一般に女優や俳優のナレーションは、はまると素晴らしい。古くは石坂浩二、喜多郎の音楽とともに日本人のシルクロード観
を確立した。あれのおかげで新シルクロードとか言われても全然シルクロードという気がしない。
薬師丸さんのナレーションもあの 「か・い・か・ん」 の一言で世を魅了した清らかな可愛い声は大人になって落ち着き、妙なイントネーションもなく、
ドラマチックな盛り上げにどう対応するかは未確認であるが、旅のレポートなどは耳に非常に心地良い。
拙宅から大山が良く見える。伊豆半島が日本列島に衝突した圧力で出来たという丹沢山系の西で海側、標高1253m、丹沢山系で一番高い山ではないが、
格好の良い目立つ山で、神々がおわすのも当然かと思う。豆腐も好物であるので、一度お参りしてみたいと思いつつまだ果たしていない。
志ん朝一門の大山詣り、というのを落語雑誌かなんかで見たことがあるが恒例だったのであろうか。
この噺によると、江戸の昔に大変栄えたのが大山参りで、江ノ島が盛り場となったのも大山のおかげだそうであるが、女人禁制で、ご利益が主に
博打方面というのだからお参りの衆の行跡も想像がつく。吉兵衛先達の一行もお参りの後、藤沢でどんちゃん騒ぎ、さらに江戸へ7里神奈川の宿に
投宿して騒動を起こしている。
神奈川宿は、幕末の歴史に頻繁に登場する宿場で、圓生の御前口演で有名な『お神酒徳利』で最初の奇跡?が起きた所でもある。
仕返しの噺は結構多い。身から出た錆で頭を丸められた熊公が、逆恨みで先達さんから仲間からのおかみさんの頭を全部纏めて丸め、長屋を冬瓜舟が
着いたようにしてしまうというこの噺もその一つであるが、仕返し話は総じてあんまり後味が良くない。品川心中は仕返し場面になる前に止めて
しまうのが通例である。
冬瓜に似た実に干瓢の原料のユウガオがある。大ぶりの西瓜ほどの青白い緑色の実で、この方が黒髪剃りたての頭に似ている。
かって北関東の平野を行く汽車の窓から、夏の終わりなどユウガオ畑にこの青白い実が転がっているのが見えた。
今の東北新幹線の二階建て車両の一階席は乗客を馬鹿にしている。ビジネスで頻繁に利用している人には、揺れが少なくて良い座席なのかもしれないが、
たまに乗る観光客にとっては全行程完全に防音壁で視界を遮られ、かんぴょう畑もなにもあったものではない。何の断りもなく東北新幹線の素人に
あの座席の切符を発券するという窓口も許せない。
ヒマラヤ/カラコルム山脈はインド半島のユーラシア大陸への衝突が成因だそうである。その意味で、丹沢とヒマラヤは親戚である。
ヒマラヤ/カラコルムには8000メートルを越える山が14座ある。これらの山を舞台に1950年代に各国の威信を懸けた初登攀競争
が演じられた。この競争の中で、それぞれの山は古くから最も熱心に遠征隊を送り、犠牲者も多く出したと言う国の手に落ちて行っているのが面白い。
エベレストは、新参のスイス隊にあわやまで迫られたが、結局マロリー以来の伝統のイギリス隊に頂上を譲ったし、あまりの犠牲者の多さに、国内に手練の
クライマーが枯渇した、とさえ言われた魔の山ナンガバルバートはその執念のドイツ/オーストリア隊に、カラコルムの世界第二位の高峰K-2は横入りの
アメリカ隊ではなく、歴史的に最も熱心だったイタリア隊に、それぞれ初登頂を許している。
日本隊も1956年5月8日、三回目の遠征で8番目の8000メートル峰として『マナスル』の初登頂を果たし、
6番目のヒマラヤ8000メートルクラブの会員資格を得た。これは後からではどうにもならない名誉で、この時代に熱心にヒマラヤ8000メートルを
目指した先達に敬意を表したい。
八代目林家正蔵こと彦六(彦六こと正蔵?)の思い出を、弟子の木久ちゃんこと木久蔵(木久扇)が語るという趣向であるが、
師匠への敬愛の情が伺える楽しい漫談である。
弟子を引き連れて、熱いので有名な銭湯の午後の口開けの二時に行った正蔵、非常な熱さに形式的にかき回してから、強制的に弟子を一人づつ入れていく、
先に入った仲間の身に起きる惨劇に尻込むと、「てめえらあ、へえらねえと、破門だぞ」 と脅し、全員肩まで入れて湯の中を練り歩かせたあげく、
最後に自分が入って、「なんだ、ちょうどいい湯じゃあねえか」 とのたまう。熱い風呂を水の代りに弟子でうめてしまったというのである。
八代目林家正蔵は実際に簡単に弟子を破門にした人だそうである。その代わり許すのも早く、『笑点』の座布団のような感覚であったらしい。
その破門回数が30回を越えて断トツだったという木久蔵は『笑点』の印象が非常に強く、というか『笑点』の印象しかないが、『崇徳院』を
生で聞いて意外や正統派で驚いた、師匠に習った形ではない
と言っていたが、熊さんが銭湯と床屋を回るうちに段々正蔵になっていくのがおかしかった。『笑点』の木久蔵は『笑点』の木久ちゃんを
演じているのかもしれない。木久蔵の余技としてはラーメンと共に絵が有名で、これはNHKの日本の話芸のタイトルバックの他に、
イイノホール(現ニッショーホール)の東京落語会という格調高い(?)プログラムの挿絵に使われている。
八代目正蔵は稲荷町の長屋住まいで、主義主張とは関係なく選挙で弱いからと共産党支持、寄席には電車で通うため通勤定期を買っていたがその定期券は
私用外出には使わなかったという。
現九代目正蔵、襲名後の古典の熱演は大変なものであるが、古典落語と言えども落語であって笑わせるものである事を忘れていないかと思う、
落語で自分で泣いたり、泣かせたりしてどうする、である。この正蔵、バラエティ番組で月に小遣いとして幾ら使ったら使いすぎたと思うかという質問に対して
「300万円」と答えて周りを固まらさせていた。
日本語には成人男子が見知らぬ成人男子に公式に呼びかける適当な言葉がない。女性だと 「おくさん」 「おじょうさん」 があるが、成人男子の場合
「社長!!」 とか 「そこを行く助平!!」 とかは特殊な世界であり、「旦那」 も一般的ではない。「ちょっとすみませんが」 と言う性別
がない呼びかけ言葉でいくしかない。
日本語には二人称代名詞が沢山あって相手との上下関係や場合によって使い分ける、というのは大嘘で、対等の大人同士の日本語会話で面と向かって
二人称代名詞を使うのは、相手が目下かでなければ喧嘩のような特殊な状況のみである、というのに似て、見知らぬ人にいきなり 「おじさん」 と
呼びかけるのは大人同士ではかなり失礼である。
もっとも成人男子に向かって 「おばさん」 と呼びかけるのは失礼以前の問題で、これも当然返事は期待できない。この噺のおじさんも、
おじさんと呼ばれたから返事をしたんで、おばさんと呼ばれたら返事はしなかったと言っている。
この噺の主人公は嫌な奴と言う訳ではないが、とにかく悪い奴である。『居残り佐平次』と同じで若い衆を言葉のチャフ散布で煙に撒いてしまう。
『大工調べ』の棟梁の啖呵とは違って高い調子ではないが、志ん朝の良く回る舌でのしゃべりは日本語(江戸言葉)の美の典型の一つであった。
この噺に出てくる豆腐料理店のモデルという『笹の雪』にはごく若い頃一度行ったきりで、また行きたいと思いつつもなかなか機会がない。
この噺は所謂前座噺に属し、大学の落研程度でも2年生になれば、早や演らないと言うくらいのものであるが、志ん生も志ん朝も得意にしたという。
噺の醍醐味は、やはり言葉のチャフによるノイズジャミングにより蕎麦屋の警戒心を麻痺させてしまう所で、
最初の江戸っ子がチャフに使う言葉=くすぐりの工夫、舞台が反転して日陰で育った江戸っ子がやるとあらゆる事が裏目にでる、という対比が演者の
腕の見せ所である。日陰で育った江戸っ子が与太郎になってしまっては面白くない。
蕎麦食い描写の名人であった小さんは、さらに最初の細く腰のある蕎麦と、後の太くてぐちゃぐちゃの蕎麦を食い分けてみせた。
聞き流せばただの滑稽話だけれども、ちゃんと理解するには、江戸時代の時刻表示のシステムの理解、しっぽくとは何か、はなまきとは何か、
苦いというお汁は何で出汁をとったのか?、割り箸や竹輪麩の歴史は、とどんどん深くなっていって、漱石の『我輩は猫である』同様に膨大な注を要する。
ちなみに日当たりが良い所で育った江戸っ子が時を聞いたのは九つ即ち真夜中の12時、日当たりが悪かった方が聞いたのは四つ、
これは午後10時半位に相当する。
入国の目的は斎藤寝具、の類の伝説に、What time is it now?. を掘った芋弄るな と言えば通じるというのがある。これが本当に通じるかどうか、
アメリカのグリーンカード所持で西海岸英語バリバリの日本人の友人と二人で、生粋の英国人二人(まあ中産階級、中年の男)を相手に、西海岸風、NY風、
日本風、フランス風、ドイツ風、英国風と色々にホッタイモイジルナを言ってみた事があるが、お互い同時に摂取した大量のエールの所為か、
全然通じないのであった。相手がアメリカ中西部出身だと通じる、という更なる伝説もあるらしい。
親が『うちの倅は堅すぎる』と言うくらい堅い若旦那・徳三郎を柔らかくすることを引き受ける二人組。町内の札付き、割り前を取ったりすると
後が怖い輩。
腕に撚りを掛けたこの二人の『良ーーい仕事』により、大旦那に請け合った通り、若旦那は一夜でぐにゃぐにゃに柔らかくなってしまう。
この噺は、冒頭の若旦那と大旦那の会話による町内のお稲荷さんのお祭り描写を除くと、全編吉原のシーンとなっている。
従って、吉原のしきたりが判らないと若旦那の大門解釈同様に、何が何だか判らない。この噺の理解には志ん生のいう
「あんまり学校ではおせえてくれない」 知識が必要である。
では、昔の人はみんなこぞって吉原に通ってそういうことに精通していたのかというと、一般の人は落語国の住人ほど熱心だった
わけではないようである。それが故に、こうした噺が面白がられたのかもしれない。
漱石の猫の中にも遊郭のシステムについて議論する場面があるが、誰も確たる事は知らないという設定になっているし、盗品の返却で日本堤警察署への
出頭を命ぜられた苦沙彌先生を、迷亭が「あの吉原の近くだぜ」 とからかっている。
しかしながら、熱心な人は古今東西絶えないようで、吉原のような場所あるいはビジネスは人類最古といわれ、
21世紀の御世でも隆盛を誇っているようである。
現代の文明世界でも政府公認のプロ女性=公娼がいる国がある。公娼はライセンスを持って道端に立ち、通行人が集まったら水戸黄門宜しく
「これが目に入らぬか」と交渉する、というのは嘘で、吉原同様に、ある特定の場所に囲い込まれている。いわゆる飾り窓である。
そうした制度のある文明国でも、ない文明国でも道端に立ってビジネスをしようという女性がいる。これらアウトドア系の女性はライセンス無し
(の筈)なので、無免許のプロと言うことになる。
ではプロと堅気をどこで見分けるか、どうやって道端にいる彼女らをプロと判断するのか?。
それはファッションのバランスで見分けられる。幸いにも(?)判りやすい事に、その典型は日本の若い女性の多くに見かけるコーディネートを外した
ファッションと同じである。いわば彼女らの制服である。実際にドイツ人のビジネスマンに、日本にはストリートガールが一杯いると指摘されたことがある。
洋服先進国には、ファッションコーディネイトの歴史的約束ごと言うものがあって、それを崩すと堅気とは見なされなくなる。
典型的にはサンダルという履物の扱いである。寝る時以外は靴を脱がない国では踵のない履物で人前に出る、というのはその履物を脱ぐ準備が出来ている、
戦闘準備が出来ているというサインとなる。
ではヨーロッパの堅気の女性は踵のない履物を屋外では履かないのか、というと普通の街中では履かないと断言できる。
リゾート地などでは、場所と服装とのコーディネート(例えば海岸通りでタンクトップにショートパンツなど)で履く事はある。しかし、
この場合でもブランド物のバッグを持ったり、アクセサリー類が多いとプロのサインと見られる。
肌の露出の多い服装で化粧が濃く、アクセサリーが目立つのは典型的街娼スタイルで、それに加えて踵の無いハイヒールや、
踵のベルトを外したハイヒールを履いていたら完璧な制服姿である。
お嬢さんがた、ヨーロッパの堅気の人は、貴女達のことを服装で判断してそう思っていますよ。
人を服装で判断しないでくれと言っても、制服というのは外観で自分は何者か示すためのものなので、しょうがないのです。
「はうまっち」「こんびあん」「ヴぃといー」「くあんとこすた」と声をかけられても怒ってはいけません。
落語国はキャラクター制を敷いていて、名前でその登場人物が何者であるか判るようになっている。
最も有名なのは与太郎さんで、性格、職業は様々であるが、親父さんを早くに亡くして、お袋さんと二人で暮らしているところの
やや知能の発達程度が足りない若い男、という事になっている。
田中三太夫は、それ程の重役ではないが、日々お殿様(主君は赤井御門守様)にお目通りし、お殿様やお姫様のお側に仕える用人で、
勿論若くはなく、老人と呼ばれるくらいの年齢である。謹厳実直、伝統墨守の保守主義者、兎に角お家大事の大忠臣として描かれる。
これに対し、八五郎は貧乏長屋に住む職人の中でも特にがさつな人間で、所謂「ガラッ八」である。同じ職人で八五郎の相棒は、
熊五郎、長兵衛、留吉で、長兵衛は職人として登場する時は必ず左官業である。
金さんとなると職人ではなく、何か商売の人間である可能性が高くなる。商売と言っても大店を張っているわけでは断じてない。
但し、神田川の金は鰻割きの職人であるように職人の金さんも登場する。
職人でも棟梁と呼ばれるような人は政五郎となる。この名前は鳶火消しの頭にも使われ、とにかく政五郎は、
人の上に立って指図する者の名前である。
響きもキャラクターも素敵なのは徳三郎。これは水も滴る良い男の道楽者若旦那の名前と言う事になっていて、
徳三郎が出てくると噺もほかの登場人物も華やかになる。それだけに勘当されてうらびれるとその落差は大きい。
幸太郎、半七なども徳三郎系、ないし柔らか系の名前である。芳次郎となると兄い、若旦那系でも一段と柔らかくなる。
これを取り巻くのが源兵衛さんに太助さん、これらは、弥次郎、六さんなど共に柔らか系というより玄人系で
あんまり堅気の衆としては出て来ない。
堅気でない代表の太鼓持は一八、その弟分は繁八である。
堅いのは大店の番頭さんや奉公人達で、繁蔵、清蔵、佐兵衛ということになっている。ただし、
年若い小僧は例外無く定吉である。
(以上は東京の落語で、上方落語の登場人物の名前はまたガラッと変わる。しかし、キャラクター制であることは同じである。)
この噺はガラッ八が、大家さん、門番、田中三太夫、お殿様と漸次会話を交わしていく。
しかし、三太夫さん迄はなんとかなっても八五郎とお殿様では、名前は 「はっちょごろ、てんで」 という名乗りに 「ちょうろけ、と申すか」
と返ってくるし(これは馬生で聞いた事があるが、圓生の演出ではこの場面は無いように思う)、都都逸を歌っても 「おお、さようか」 であるから、
上下に棒が突き抜けていて上も下も見える中という字の田中三太夫さんが、インタープリターとして間に立たなければ会話が成立しない。
伝統墨守の三太夫さんには悪夢のような場面が続き、ついつい八五郎を諌める事しきりになりその都度、
八五郎に即答をぶたせ、下々との会話を楽しみたくてしょうがないお殿様の『三太夫、控えておれ』が飛ぶことになる。
『目黒のさんま』の三太夫もお姫様に朝のご挨拶。 「姫君にはご機嫌麗しく三太夫恐悦至極」 「老齢のみぎり、
お勤め大義である脇に下がって○○○○かきゃ」 と労わられる。
この○○○○、下々の間ではくつろぐ事をこういうとお姫様が教えられた単語であるが、迂闊にこんなところでも書くわけにはいかない。
オリジナルの○○○○もレコード等では別の言葉に変えられていて聞くことはできない。
それをお姫様が、選りによって三太夫に向かって使うところが凄い。
同じ三太夫かどうか判らないが、『目黒のさんま』にはお殿様のお食事の介錯をしていて、「三太夫、替わりを持て」と鯛の替わりを求められ、
庭木の松に手が入ったのに気を逸らせておき、鯛の頭と尻尾を持って鮮やかにひっくり返す三太夫が登場する。
しかし、この行為は殿様に見破られていて、再度鯛の替わりを求める殿様に、 「三太夫、替りじゃ」 と責め立てられ窮地に立たされる。
『粗忽の使者』では、杉平柾目庄様から主君赤井御門守様への使者、治武田治武衛門の相手に出て名乗ったあと、
「当家の用人 田中三太夫・・・ではござらん」 と治武衛門に危うく名前を持っていかれそうになる。
この噺を私は沼津地方公演に来た志ん朝さんで聞いた事がある。おけつを差し出してスタンバイした治武衛門さんの使者の持ち物で、
口上の次に大事な部分のサイズと重量を手で測ってみて 「おうおう、まあまあ・・」 と感心するという、テレビでは絶対やらない演出だった
あの高座を思い出す度に、西暦2010年過ぎくらいの六代目倅の志ん生の高座を想像してしまう。
腕に乗せた握り飯程もあるモグサに火をつけた男、それでも腕が焦げる前に叩き落とした。熱かっただろうという問いに、強情にも熱かった
とは言わず、『俺は熱くはなかったが、五右衛門はさぞ熱かっただろう』と強がる。
叩き落とす前の熱さを我慢する男の表情が見せ所、『睨みかえし』『蒟蒻問答』などと並ぶ小さん得意のビジュアル系落語である。
定年退職を目前にしての精密検査のCTとMRIで某臓器に腫瘍が見つかり、切除手術を受けた。手術ではわき腹を斜めに約25センチ、
21針縫うだけ切り開かれた。現代の病院は患者を甘やかさない。
手術の翌日の朝、看護婦が、(被)手術着と紙製のピンポンパンツから俗世間の衣類への着替えをしてくれた。
着替えると簡単言っても、ソリューゲンFの輸液と抗生物質を腕から点滴、電動で微量かつ定量の薬液を押し出す装置 (この電源が
ITやAV関連ではとうに絶滅したニッケルカドミウム電池で、充電15時間、放電3時間という代物。
その後放電警告ブザーが鳴る度に看護婦に毒づく事になる) から背中に
硬膜外ブロックの痛み止め、叱呼を抜く導尿菅チューブとバッグ、傷口からの排液チューブとバッグという5点セットがくっ付いているのに加えて、
指先の血中酸素モニター、酸素マスクと、脚の血栓予防のマッサージ器まであるので容易ではない。
酸素マスクとマッサージ器は一時的に外してもらい、チューブ類はこんがらがらないように処置して貰う所から始まるが、これは
患者本人は、看護婦の言いなりに腕曲げて、脚上げて、寝返りして、とやっていると着替えも何時の間にか終わっているというプロの技に
身を委ねるのみである。
着替えが終わったら『口漱ぎは立ってやってみますか?』と聞いてきた(と云うより命令である)。立つと言っても寝返りや身動きも簡単には行かない
身の上、まず上半身をベッドから起こすについて、電動ベッドのアクションを利用しての上半身の起こし方、枠への掴まり方、ベッドから下りる
についての脚の捌き方を教わる。
ようやくの思いで立ち上がって洗面台で口を漱ぐと、すかさず『少し歩いてみましょう』と提案される。
これも『判りました』アグリーするしかない。
歩くとなると、5点セットを点滴架台(点滴棒)にぶら下げて引っ張って行かなくてはならない。
背中に入っている硬膜外ブロック注射の薬は、盗み見したらフェンタニル/アナペイン。フェンタニルはモルヒネ系麻薬であるので量で鎮痛の程度の
コントロールが出来る。投薬量は安静状態だと痛まない程度を基準にしているようで、動いたり、ましてや歩いたりするのは
カバーしてくれず痛みが地響きのように襲ってくる。前のめりはみっともないので正立しようとするがどうしても点滴棒に掴まって前のめりによたよたと歩くことになる。
『仁義なき戦い』で、腹を刺されて彷徨うチンピラの気分。頭の中をあのテーマ音楽が鳴り響く。病院の廊下では点滴棒を引っ張って歩いている人を良く
見かけるが、こういう仲間でのヒエラルキーは、点滴棒からぶら下がっているチューブの数で決まる。こちとらロイヤル・ストレート・フラッシュなので
廊下にいる人影は、スタッフも患者も車椅子も壁に寄って静止する。看護婦は斜め後ろについて監視・激励してくれるが手を貸してくれるわけではない。
『走って見せようか』と強がったら『どうぞ。手術の翌日午前中に走った人、として病院の歴史に残りますよ』と逆にけしかけられる。
約50メートル歩いて部屋に戻り、又大騒ぎして仰向けになり、ばくばくの日向の金魚状態に酸素マスクをつけて貰う。
『俺は痛くなかったが、阿南大将はさぞ痛かっただろう』。
両親を亡くし一人残されてしまったが、忠義者の番頭が万事仕切って何の心配も要らない大店の跡取りお嬢様、
勿論いわゆる夜中のはばかりのような美人である。
お店に早く世継ぎを、と婿をとるが店は番頭が切り回しているため、若夫婦はする事がなく、ひがな二人きりで離れに篭ることになる。
すると何故か、とる婿、とる婿がみるみるやせ細って早死にしてしまう。そこでと知恵者が集まって選んだのが『鰤のあらのような』
骨太で脂ぎった丈夫一本槍の男。しかし、この鰤のあらもみるみる脂気が抜け、影が薄くなり・・・・・。
という噺『短命』での圓楽のくすぐり。
お給仕をするお嬢様の指先から悪いばい菌がうつるわけではない、鰤のうまみと脂気が移っていってしまう色白でふっくらした
大根のようなお嬢様ご自身のせいとでもいうのであろうか。
鰤のあらというのはスーパーなどでも売っている。頑丈な骨、脂が乗り切り額に付いた血もはじいている巨大な頭、言われてみると
いかにも凄そうな、魚の目が怖いなどと言う外人さんには正視できそうにない食材である。
鰤は、養殖はまちの脂ぎった食味への反省か、最近無闇と『天然』という但し書き付きで売られている。成長するにつれて名前が変る出世魚の鰤
はお目出度い魚とされている。その昔、山国甲州の結婚式の引き出物の最高級は、塩鰤の尾頭付きであった。ただしこれはとてつもなく高価についた為、
塩鰤を引いた婚礼は末代までの近郷近在の語り草になったという。
鰤は、『脂がありゃあ良いってもんじゃないよ』と云う反省が生まれているが、他の魚、肉類は依然として脂伝説にまみれているようである。
確かに旬をはずした、ばさばさの鰯/さんまと云うようなものは食うに値しないが、鮪だって、兎に角大トロの中トロのではなく、赤身には赤身の
うまさがあるのである。特に鰹は脂が乗り切る前のあっさりした食味とテクスチャが生姜に遭遇した時の爽やかさが身上である、と私は思うが、
トロカツオなどという、生姜では手に負えないものが珍重されたりする。
また、最近の鰹は魚偏に堅いは返上した方が良いと思うくらい身が柔らかいのはどうした事か、
フランスで入手できた地中海産ボニートは、切り身にした時は注意して扱わないと
みるみるそぼろ状態になってしまったが、最近の鰹はそれに似ている。
肉にしても赤身のうまさと脂身のうまさは別物であり、それが混じってしまった霜降り肉などと云うのは邪道である、と我ら貧しき人々は思う。
肉食動物の欧米人が、Tボーンステーキをご馳走と認識するのは、まさに脂身と赤身を別々に口の中に感じ取りたいからであろう。
赤身肉を塩胡椒で焼いた塊を頬張り、10回や20回噛んだだけでは飲み込めず窒息死するようなのを、ぐちゃぐちゃ噛んでいるといろんな味や
においを発散し筋を残しつつ口の中で体積が減っていく、これぞ『肉を食う』である。
庶民の贅沢、とんかつ屋の分厚いロースカツ定食にしても、かっては食い切る前歯、噛む奥歯に抵抗が感じられ、やがて脂身部分を噛み潰して
じわっときて、という肉を食っている実感があったが、今のとんかつ屋の肉は、まさに箸で千切れる柔らかさである。
全く歯ごたえが無いので、衣を通過した前歯がいつ肉に当たったのかも判らない。奥歯に対してもアミノ酸を押し固めたものを(そんなものがあるのなら)
噛んでいるようである。
『あ、やわらかーーい』がどんな食物についても最高の美味礼賛の言葉であるらしいからしょうがないとはいえ
なんとかならないかと思う。
大黒屋前の横丁でおからを売っている店のことである。
無論傍らでは豆腐も売っているのであるが、極度の吝嗇家である主人の下の奉公で、横町の店あてにお使いに出されても、厚揚げ、がんもどきは勿論、
豆腐すら買ったことが無い小僧は、横丁の店はから屋だと思っている。
巷での豆腐の販売量に対して、嵩で少なくとも豆腐と同じくらい生産されるおから(うのはな)の販売量はゼロに等しい。豚の餌になっているという説もあるが、いや大部分は
焼却処分されているのだという話も聞く。
切り昆布や油揚げを入れて薄味に焚いたおからは好きである。食べる時レモンを絞るとなかなか合うので是非お試し願いたい。
内田百關謳カはシャンペンの相方はおからであると言っている。この場合三瓶酒と書いた方がふさわしい。
海外の田舎でおからを手に入れるのはなかなか骨である。豆腐を製造しているような豆腐屋があるような大都会では売っているが、足の早い生ものなので、
都会への出張の際買って帰るのも心配である。となれば、自作するしかない。豆腐はなんとか手に入るし、インスタント豆腐の粉や
紙パック入り豆腐もあるから、無理やり豆から自作しなくても良いので、これは、おから食いたさの豆腐作りである。
柳亭市馬は、先代の小さんの弟子の中堅どころで、歌手としてCD発売をしている張りのある美声の持ち主である。
美声といえば志ん朝であるが、市馬は志ん朝よりキーがやや低い。最近髪をぎりぎりの角刈りに短くして志ん朝に似てきた。
今後を期待していますよ。
目次に戻る。
水がめを買うのに言葉のチャフ散布で瀬戸物屋の主をごまかそうとする客と、ごまかされかかっているのであるが、直前でなんとか踏み留まって
抵抗する主のせめぎあいでの主の科白である。(3円足すことの一荷入りの水がめ) は幾らになるのか、暗算で判らないのなら算盤で計算しろ、
と要求する客に対して主はこのくらいの事は算盤に置かない、と始めは断るが、いざ算盤に入れてみてもやっぱり判らない。
オリジナルの上方落語はじめ、普通の演出では主(あるじ)自ら小僧に向かって算盤を持て、となるのだが、
客が主に算盤で計算をすることを強要するのが歌丸の工夫であろう。
暗算は苦手である。簡単な二個の数字の足し算でもその二つの数字と足して出る一桁づつの答え、桁上がりの有無、と覚えていなければならない事が続々と
出てくる。掛け算となるともっと大変、割り算となるともう暗算では出来ない。
暗算というのは計算能力ではなく、一時的記憶力の技であると思う。算盤が達者な人は、この覚えておくべき数字を算盤の珠に置き換えてパターンで
覚えているのだという。従って暗算で計算中覚えておかなければならない事が普通の人に比べて極度に少なくて済む。
数を言葉でいうシステムが、極めて短く簡潔かつ合理的な日本語でこれなのであるから、石原慎太郎さんに指摘されるまでもなく、数の言い方については
悪評高いフランス語で暗算をするなどは不可能であろう。暗算ではないが、フランス人(達)に有効数字の概念を普及させようとして苦労した事がある。
電卓の普及で、手で計算(筆算)をするという事は、殆ど無くなった。勤め人時代、簡単な計算でも手元に電卓が無ければパソコンでやっていた。
パソコンでの計算では初めの頃は、BASICのダイレクトコマンド、次にLOTUS123、それからエクセルになった。
勤め始めた頃は電卓の黎明期で、その直前の学生時代は、計算尺か有効数字が大きい時はタイガーの手回し計算機を使っていた。
勿論、その頃にも電子計算機というのはあったが、どんなに簡単な計算でもFORTRAN のようなコンパイラ系プログラム言語を使って
プログラムする必要があった。
会社に入っての営業実習では電卓も売った。電卓は100V電源で動き初任給分かそれ以上の値段がする事務用機械で個人持ちのものではなかった。
このころ(1973年)、プログラム可能な関数電卓というのが出現し、これは当時の金で25万円位した。この関数電卓のプログラムというのはタッチしたキーを
記憶している電卓で、汎用のプログラム言語によるプログラムとは別物で、かつ、外部記憶装置との接続も出来なかった。
その後、電卓は急速に安くなっていき、個人でも買える物になり、前世紀の終わり、オフィスでPCが1人1台となり、仕事の中で表計算ソフトが
常用されるようになると、オフィスから電卓も見かけなくなっていった。
同時に実験室からも数値表(三角関数、対数、統計処理などの数値を集めた本)の類が消えていった。

1977年頃買ったシャープのプログラム関数電卓PC1200。
緑の蛍光管によるべき乗表示で、単3電池2本で動くがメモリー・バックアップ用の水銀電池も入っている。
随分使い込まれているが、ちゃんと動く。現在の表示1.711・・・X10の98乗は、69の皆乗=69!の答えである。
外板の上部が金属製で丈夫である事が長寿の秘訣か?。
化学実験室で使っていたため表示窓にトルエンを1滴落とした痕がある。
ほぼ同じサイズで同じ機能のHP製を使っている同僚がいて、単独計算では一番時間がかかる69の階乗計算の計算速度競争をしてみたらHP製の勝ちだった。
(70の階乗は答えが100桁を越えるのでべき乗表示でもオーバーフローしてしまうので計算できない。)
HP製の関数電卓は、『レッド・オクトーバーを追え』(の原作本)にこれを使って潜水艦の航路の計算する場面がある。
もっとも、E.E.スミスのレンズマンシリーズの中には、超光速宇宙船の中で計算尺を使う場面がある。
桂米朝 平成21年度文化勲章 万々歳
じごくばっけいもうじゃのたわむれ、と読む。演題も長いが話も長く、軽く1時間はかかる。
もっとも決まったストーリーがある訳ではなく、地獄の風景の中に時事の話題などを取り入れてギャグで笑いを取って行く『源平』のような落語である。
私が持っているCDは1990年代初期と思われる話題が盛り込まれており、貨幣価値も現代のものになっている。
三遊亭圓朝が出ている地獄寄席に桂米朝近日来演、としてあるそうであるが、60代後半の三代目桂米朝、途中で逝って仕舞うかも知れないと
前置きしての大熱演である。
登場人物は、主人公の鯖に当たって死んだ男、何かとこの男の世話をしていた旦那、道楽をし尽くしたあげく一斉に河豚の肝を食べ洒落で地獄に来た
若旦那一行、この一行は着物も揃いで、男は河豚の五つ紋、女は長葱に水菜の裾模様を着ている。
と言っても彼らは狂言回し、活躍するのは地獄の住人達である。
鬼前の良い赤い衆などが幅を利かせており、言う事を聞かない亡者は鬼に薄暗い物陰に連れて行かれてぶち生かされてしまうし、地獄で喰い詰めて
野垂れ生きする輩も現れる。
2007年度後半のNHK朝の連ドラ『ちりとてちん』で、渡瀬恒彦扮する徒然亭草若がこれを演じ、画面効果で河豚の五つ紋や葱と水菜の裾模様の
芸者衆という一行も出てきたのは落語ファンにとって望外の事であった。
登場人物は、大店の相模屋の隠居とその碁仇の近江屋の隠居の二人、場面もお互いの隠居所という二箇所しかない渋い噺で、
二人の会話だけで淡々と進行し、ここといって大笑いをとるところもないが、優しく静かに楽しく終る今風に言えば癒し系落語である。
相模屋さんの方が店としてかなり格上、というより店として親筋で、年も上であるが、お互い他に友達もいない無二の親友同士かつ碁仇である。
最初の喧嘩別れで家に戻った近江屋さんが連れ添った婆さんを相手に愚痴るシーンを馬生は会話(ダイアログ)で描くので厳密には
登場人物が三人と云う事になるが、ここは婆さんを台詞がない登場人物として演出することも可能なところなので、
そうすれば完全に二人だけの噺として演ずる事も可能である。
噺の枕で碁会所のシーンがある。ここで手練の二人の対局を超の付く初心者が覗き込んで盤上に抜け四を発見し、勝負あったと口を挟む。
しかし、自分の指摘を無視されたその初心者も良く良く見ると抜け四があるだけではなく、既に五目以上並んでいる石があるのを見付けて、
これは五目並べではなく『あ、本碁ですか』と気付いたところで『本碁も向島もない』と追い払われる。このギャグは、親父の志ん生の『赤坂も麹町もない』
の応用であろう。
本碁と五目並べをコンフューズする、というギャグは赤塚不二夫の『天才バカボン』にもあった。そこはバカボンのパパ、五目並べの
まま押し通して名人をして参ったと言わせてしまう。
隠居した御家人と云うのだから、肝の据わった人なのであろう。笑顔が不思議な一つ目小僧や、気が弱い大入道程度の化け物が現れた位では
びくともしないどころか、悪口雑言を浴びせたあげく、これ幸いと家事にこき使ってしまう。
ところが、若い女と思われる、のっぺらぼうのお玉ちゃんには滅法甘い。目鼻が無いと顔と云うものは幅が広いものだ、などと無神経な事を言って傷つけ、
萎れさせてしまったお玉ちゃんを「目鼻なんて無い方が良いんだよ、なまじ目鼻が付いている為に苦労している女なんぞいくらもいる」と慰める。
針仕事を命じ、
お玉ちゃんが針の目途を通せると言うと、「どこかで見ているんだ」 と一人納得する。
この噺の化け物屋敷に出てくる化け物は、大きな古狸の一人芝居である。ラフカディオ・ハーンの『狢』に出てくるのっぺらぼうは物凄く怖いが、
このお玉ちゃんは可愛い。お玉ちゃんと云う名前も、御隠居が卵の様だというので付けた名前である。
2011年10月14日、東京落語会で『長短』を演じた志らくのくすぐり。
今日の天気の感想を述べるのに、夕べ夜中にしょんべんに起きた所から始まる気の長い長さんの話。やっと寝床から出て廊下に出たものの、
庭が暗くてどうたら、見渡してこうたら、にじれた短七が一喝する、「ラジウムでもめっけたか」。
世田谷の空家からの放射線は、床下にあったラジウム226が入った瓶が原因だった、と報じられたのは前日の13日、新聞では当日版の出来事なので、
これは超ホットな話題で、当然場内大爆笑になった。今、乗りに乗っている志らく、聴衆を無理やり引きずって走るラグビー選手のような「旬の」高座であった。
ただ、この高座、まくらでの談志と圓楽の描写でキ○ガイ
という言葉を使ったので電波に載る事はないであろう。このラジウム話もコードにひっかかるかもしれない。
自然界の出来事には結果とそれを引き起こす原因との間に(ちなみに、原因とは結果を引き起こした事が確認された要因のこと)閾値というものが存在する。
電気の世界でのアナログ−デジタル変換での閾値理論は電子工学には門外漢の私でも齧った事がある。そんなミクロの世界の出来事でなくても、
例えば、洪水の主要因≒原因は雨即ち降雨であるが、ちょっとやそっとの雨では洪水にはならない。同様食中毒や感染症も病原性細菌やウィルスによって引き起こされるが
1個や10個の細菌が体に入ったところで発症はしない。細菌やウィルスは体内で増殖するし、排出する毒素もあるので閾値を考えるのにそれも考慮しなければならないが、
食中毒や病気を起こす閾値は存在する。人間は全て滅菌した食物を滅菌した食器で食べている訳ではない。
しかし、この閾値論は放射線については適用されないらしい。「だって、ゼロではない」がまかり通っている。天然の放射性物質が存在し、天然の放射線が飛び交う
中に発生し、進化してきた人間の体には放射線に対する耐性があり、かなり高いレベルまで耐えられる閾値を持っていない訳がない。
創造の神はそんなに無能ではない筈である。自然の放射線は良い放射線で人畜無害である、と馬鹿な事を言う人がいる。こういう人は、漢方薬は飲み過ぎても、
病気や体質に合わなくても害に
ならないし副作用も無い、ヘロインやコカインも人畜無害、アコニチンやテトロドトキシンも自然界にあるからには無毒と信じているのであろう。
生物にとって、ある閾値を越えるまでの放射線は、全くの無害すなわち放射線量ゼロに等しい、
この事が判らない人が多すぎる。学者と言われる人も、閾値の意味を判らせる努力をせず、声高に叫ばれる「だって、ゼロではない」に迎合している。
「だって、ゼロではない」というと、安全であっても安心はない、無限の心配があるのみである。その方が時代に合っていて生きがいが出るのかもしれない。
件の世田谷の家で何十年も暮らしていた人が90歳過ぎて健在という事実が、自然現象の一つである人間には、放射線障害に関して閾値があることを証明している。