
ワイン街道に沿ったワイン村でそれぞれのワイン祭りが終わると、葡萄の取り入れ=ワインの仕込みが始まり、アルザスに秋がやってくる。
アルザスの秋は兎に角黄葉である。平地に白樺がある土地柄であり、ポプラ、リンデンバウムという黄葉する大木が平原から山裾にかけて並んでいる上、
勝沼の葡萄畑は秋に紅葉する甲州種が黄葉の中に点在するが、アルザスでは葡萄畑も兎に角黄葉である。
背後のボージュも基本的に黄葉で、日本の秋の山を彩る、もみじ、かえでの類がない上、ナナカマドまで赤い実を
つけて黄葉する。高度が上がるとカラ松が現れるのは日本の山と同じであるが、日本の山の常緑樹である松、杉、檜の代わりはボージュでは長毛の
大型犬の尻尾のような枝を張る樅の木が勤める。樅の木の森林はライン河を隔てたドイツのシュバルツバルトが有名であるがボージュにもなかなかの
樅の木の森林があった。


シュルクトはドイツ語で岩の意味、土着の言語アルザス語はドイツ語に似ているので、アルザス語でも岩なのであろう。
通年の通行が確保されているが、秋も深くなると日陰は凍結することがあるし、深い霧に閉ざされる事もある。

ボージュの稜線を走るクレタの道(Route des Cretes)からはアルザス側、ロレーヌ側それぞれに視界が開けるところがある、驚くのはさして高くもないボージュが見下ろすと東西に
大きく広がっている事で、水による侵食が進んだ丸く低い山々が延々と連なっているのが見える。
ロレーヌ側のこの辺り一帯は、第二次大戦初頭の1940年6月、ドイツのフランス攻略の最終段階でフランスが誇る要塞であるマジノ線を迂回した
ドイツ軍がフランス軍生き残りを包囲殲滅した戦場であり、1944年の晩秋から冬今度はアメリカ第7が、当時はドイツ領ロートリンゲンとなっていたこの地で、
アメリカ陸戦史に残る激戦の末、これもドイツ領エルザスへの進撃路を切り開いた地である。
アメリカ第7軍には日系アメリカ人だけからなる部隊も含まれていた。

シュルクト峠のロレーヌ側麓にあるランゲメール(Longemer)を望む。
ランゲメールはシュルクト峠をロレーヌ側に下りきった所にある湖で、狭い平地とジェラルメールの町を挟んで観光地として
より有名なジェラルメール(Gerardmer)と並んでいる。
ジェラルメールは画面の上部左から入り込んでいる低い稜線の向こう側にあたる。

ランゲメール湖畔
この湖は周遊路があり、車ならほんの15分くらいで周回できる。
湖の北側、北西側には春に野生の水仙が生える草原が広がっている。
ジェラルメール湖畔では水仙祭りが開かれ、水仙でできた人形が並び、水仙で飾られた山車が出るが
ジェラルメールは普段でも駐車難で鳴る町なので水仙祭りの駐車場所奪い合いは早朝から熾烈になる。

ボージュ主山脈の小さなピーク、カステルベルク(Kastelberg)のアルザス側は森の間に牧場が広がっていて、マンステール・チーズを産する
農家があり、農家の中には出来立てのチーズをジャガイモとハムなどの素朴な料理と共に食べさせてくれるレストランをやっているところがある。
農家レストランで食べるマンステール・チーズは実にまろやかで攻撃的なにおいや味はせず、純粋に旨い。コルマールの町でもチーズ専門店ではこういう極上の
マンステール・チーズを手に入れる事が出来る。
ハイキング道も縦横に走っているが、下で述べるようにスイスのように道標が完備しておらず、目立つランドマークも無いので頼るは地図のみで迷いやすい。


太陽王ルイ14世はボージュからアルザスを見た最初のフランス国王だそうであるが、ボージュからアルザス平原を見下ろすには、
オー・コーネッヒスブルク城(Haut Koenigsbeurg)からなど一部の場所を除けば、ある程度のハイキングの準備をして歩く必要がある。
コルマールの南西、Donjones d'Equisheimのハイキングコースからの風景。右写真の下界の村はエギスハイム(Eguisheim)。
ハイキングコースとはいえ、スイスのように案内板の整備など程遠く、この時はフランス陸軍で兵役にも就いた事があるというリーダーの
地形図読みのミスで、同じような地形の続く山中を彷徨、酷い目にあった。ようやく下山して着いた山裾のホテルでパーティー一同で彼を責め立て、
お菓子とコーヒーを奢らせて溜飲を下げた。